セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長兼最高経営責任者(CEO・83歳)が突然の引退を表明し、世間を驚かせた。ジャーナリストの田原総一朗氏は、「流通の神様」も人の親だったと原因を分析する。

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 4月7日午前9時半に、東京都千代田区のセブン&アイ・ホールディングスの本社9階会議室で取締役会が始まった。

 セブン―イレブン・ジャパンの井阪隆一社長兼最高執行責任者(COO・58歳)を交代させる人事案をはかるための取締役会であった。実は、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木会長は、2月15日に井阪氏に退任を内示し、いったんは了承を得たのだが、2日後に井阪氏が翻意を伝えると、鈴木会長は3月に取締役候補を選ぶ指名・報酬委員会を設置し、社長交代案を提出。

 そして、伊藤邦雄氏、米村敏朗氏の社外取締役2人に反対されると、彼らの反対を押し切って、社長交代案を取締役会にかけたのである。

 20年以上トップとして君臨し、独裁体制を築いてきた鈴木氏としては、当然、取締役会で賛同を得られると踏んでいたようだ。だが、取締役15人による投票の結果、人事案への賛成は7票、反対6票、白票2票で、賛成が過半に届かず否決された。

 そして、この日、急きょ記者会見に臨んだ鈴木氏は引退を表明した。

 それにしても鈴木氏は、1963年にイトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏(現セブン&アイ名誉会長)に請われて入社し、74年にセブン―イレブン1号店をオープンさせてコンビニトップを独走する一大チェーンに育て上げた。いわば「流通の神様」である。私も鈴木氏に何度も取材したことがある。鈴木氏の口癖は「常にお客さま目線で考えよ」であった。

 
 たとえば、毎日昼食には、セブン―イレブンの弁当を食べていた。そして、私が「毎日セブン―イレブンの弁当を食べていて飽きませんか」と問うと、「私が飽きるということは、お客さまも飽きるということで、ただちに飽きない弁当をつくらねばならない」と、当然のことのように言った。優れた経営者だと、私は尊敬していた。

 その鈴木氏に、いったい何が起きたのか。なぜ取締役会で賛同が得られない事態になってしまったのか。

 2人の社外取締役が井阪社長の交代に反対したのは、一つはセブン―イレブンの業績が好調であること、そしてもう一つは、鈴木氏が考えていた後任候補の古屋一樹副社長が、井阪氏よりも8歳も年上であったことだった。実は、取締役会で議長役を務めた村田紀敏セブン&アイ社長は、2月に井阪氏が鈴木氏の求める退任を断った後に伊藤名誉会長を訪ねて、鈴木氏の人事案の「後押しをお願いします」と頼んでいる。伊藤氏は、それを拒否したのだ。

 事情に詳しいエコノミストによると、伊藤氏が鈴木氏に不信感を持ち始めたのは、鈴木氏が息子による世襲と思しき行動に出たからだという。

 2014年の3月にセブン&アイ・ネットメディアがセブンネットショッピングを吸収合併した。そしてネットメディアの社長に息子の康弘氏を据えた。セブンネットショッピングは、99年にソフトバンク、セブン―イレブン・ジャパン、ヤフーなどの合弁会社としてつくられ、そのときに社長についたのが富士通やソフトバンクで働いていた康弘氏であった。しかし業績は極めて悪かった。それを鈴木氏がネットメディアを使って吸収合併してやったことになる。そして15年の5月にはセブン&アイの取締役にしている。「流通の神様」も、人の親だったということなのか。

週刊朝日 2016年4月29日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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