岡田有希子、没後30年 南野陽子が「“ゴミ箱”が私だった」と思い出語る (3/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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岡田有希子、没後30年 南野陽子が「“ゴミ箱”が私だった」と思い出語る

岡田有希子が眠るお墓(撮影/柳川悠二)

岡田有希子が眠るお墓(撮影/柳川悠二)

「学校で顔を合わせる機会というのは、実は少なかったんだけど、お互いに忙しかった卒業の年(86年)の2月、二人して出席日数が足りず、学校で机を並べて自習していたことがありました。その時に『ナンノちゃんはこれからどうしたいの?』とか、『ドラマの撮影っていうのはね……』とか、そんな話をいっぱいしてくれました。それはね、彼女が姉さん肌だったとか、世話焼きだったとかいうのではなく、彼女が抱え込んでいたものをはき出すための、“ゴミ箱”が私だったんだと思う。仕事現場に行けばたくさんの方に囲まれるけれども、年配の方も多く、本音で会話できる仲間って少ないんです」

 死の直後、岡田が死を選ぶにいたった真相を巡り、様々な臆測報道が流れた。


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