伝説のディーラー”と呼ばれた藤巻健史氏は、「マイナス金利」は「量的緩和」より先にやるべきだったという。その理由は……。

*  *  *

 香川県初の女性公認会計士で大学のゼミの後輩である千晶さんが、正月早々、議員会館に遊びに来た。部屋に入るなり、「わ、汚い。あ、先輩、あけましておめでとうございます」ですと。私は字と部屋の汚さには定評があるから、「わ、汚い」はいたしかたない。しかし「あけましておめでとうございます」の次に「わ、汚い」でしょうが。モノには順番がある、はずだ。

★   ★
 黒田東彦日銀総裁は「異次元の量的緩和」を2年10カ月間行った後、1月29日、「マイナス金利政策」の併用を決定した。2月12日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルは「量的緩和策が限界に達したと日銀が認めたことになる」と書いたそうだ(2月13日付の日本経済新聞夕刊)。私は「量的緩和策が限界に達した」というより、やってはいけない政策だったと思うのだ。副作用があまりに大きい。

 最終的に「マイナス金利政策」を採用するのならば、「量的緩和」より先だったはずだ。順番が違う。量的緩和という効果が実証されておらず、副作用が大きい政策を先に実施したのはまずかった。「マイナス金利政策」を唱えていた私が「正気の沙汰ではない」という評価を受けていたくらいだから、日銀は超マイナー意見だった政策を実行する勇気がなかったのだろう。

 この20年間、日本のみが名目GDP(国内総生産)が全く伸びずに苦しんでいた。この間、米国は2.3倍、英国2.4倍、豪州3.2倍、シンガポール3.2倍、中国にいたっては11.3倍(すべて自国通貨ベース)だ。「マイナス金利政策」を行っていれば、今日のように、他国との金利低下競争、通貨安戦争をせずに済んだ。大幅円安で景気大回復だったろう。

 
 順番を間違えたおかげで時機を逸した。安倍首相は、量的緩和の副作用を指摘されても、「デフレ脱却にはこれしかなかった」と、正当性を主張し続けた。しかし、「マイナス金利政策」があったではないか?

 量的緩和政策の最大の欠点は出口がないことだ。今は市場が混乱しているが、混乱が収まればマイナス金利政策は意外と効いてくると思っている。マイナス0.1%が効かなくても、マイナス5%にすれば効く。問題はマイナス金利政策が効いて景気が回復し、消費者物価指数(CPI)が2%に達するときだ。景気が過熱しそうになっても、ばらまいたお金の回収手段がないのだ。国債を銀行に売り返し、市中にばらまかれた資金を吸収しようとしても、そんな国債を買う民間金融機関はない。日銀が金利を上げよう(=国債価格を下げよう)としているときに買ったら値が下がり損をするだけだからだ。

 さらにはお金をジャブジャブにしたままでの利上げの方法は、日銀にある当座預金の金利を上げていく方法のみだ。今回、マイナス0.1%に下げた金利をプラス1%、プラス2%と上げていくのだ。しかし、超低金利国債の爆買いの結果、日銀保有の国債の利回りは著しく低い。当座預金に高い金利を支払えば、損の垂れ流しとなり日銀倒産の危機だ。垂れ流しの損を国が補填する? 日銀が紙幣を増刷して国債を買い取りその損の補填に充てる。なんじゃそれ?の世界だ。量的緩和でばらまいたお金の回収方法がなく、金利を上げることもできない。私がハイパーインフレを危惧する理由である。

週刊朝日 2016年3月11日号

著者プロフィールを見る
藤巻健史

藤巻健史

藤巻健史(ふじまき・たけし)/1950年、東京都生まれ。モルガン銀行東京支店長などを務めた。主な著書に「吹けば飛ぶよな日本経済」(朝日新聞出版)、新著「日銀破綻」(幻冬舎)も発売中

藤巻健史の記事一覧はこちら