織田家16代当主・織田裕美子「その時代、女城主だったらと思うと恐ろしくなります」 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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織田家16代当主・織田裕美子「その時代、女城主だったらと思うと恐ろしくなります」

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当時、女性にとって結婚というのは、「人質になる」という意味もあり、現代の私たちの感覚と全く違います(※イメージ)

当時、女性にとって結婚というのは、「人質になる」という意味もあり、現代の私たちの感覚と全く違います(※イメージ)

 結婚生活は長く続かず、夫は病死。子供はいなかったので、おつやの方は信長の幼い五男を養嗣子にし、自らが当主の座につき、信長は多くの軍勢を岩村城に送り込みました。

 しかし、その後、徳川家康が武田軍との合戦に負けるなどし、信玄に岩村城を奪われてしまいます。

 おつやの方は領民や家臣を守るため、新城主となった信玄の部下、秋山虎繁との再婚を受け入れますが、ほどなく信玄が病死。

 信長は長篠の戦いで武田勝頼を破ると、岩村城を包囲。赦免すると見せかけ、投降したおつやの方を虎繁と共に逆さ磔(はりつけ)で処刑してしまいます。そのとき、おつやの方は泣き悲しみ、「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや因果の報いを受けん」と絶叫したとされています。

 当時、女性にとって結婚というのは、「人質になる」という意味もあり、現代の私たちの感覚と全く違います。人を裏切るのも、殺すのも、もっと身近であったと思います。裏切りなどの処罰も何倍も激しく、厳しいものでした。

 戦国の乱世では、信長の妹、お市の方、その娘の淀の方も城ごと落ちて自害しています。信長の妻で斎藤道三の娘だった濃姫も「夫でも裏切る」という気概で嫁いだとされています。

 いま、私は信長の弟、有楽齋の織田家当主ですが、その時代に生まれていたらと考えたら、本当に恐ろしいですね。徳川の3代将軍の家光公時代までは、大名の命でも安かったのですから……。

 何年か前にご縁があり、この地へ伺いました。岩村城は江戸時代、松平家の居城となりましたが、明治政府の廃城令により、1873年に解体。石垣のみとなりましたが、「日本100名城」に選定され、今もお酒「女城主」ともども愛されています。

(本誌・鈴木 顕、森下香枝)

週刊朝日 2016年1月15日号


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