この「第二楽章」は「広島編」「長崎編」のあと、本来なら「沖縄から『ウミガメと少年』」が、3部作の最終章になるはずでした。沖縄戦を語りながら、戦争が出てくることもなく、美しい海と空とウミガメが語られている野坂昭如さんの「戦争童話集」によるもので、それだけになお戦争の愚かしさと少年のつらさを物語っています。ところが、福島が4作目となってしまったのです。

 あらためて、何度でも言います。戦争はだめ、核もだめ、と。選挙権が18歳からになりますね。若い人たちに未来を見つめて考えてほしい、と思います。

 今回の映画「母と暮せば」は、作家井上ひさしさんの思いが下敷きにあります。

 井上さんは「父と暮せば」と対になる作品を長崎を舞台に書きたい、と生前構想されていました。そのことをお嬢さんの麻矢さんから聞かされた山田洋次監督が、「泉下の井上さんと語り合うような思いで脚本を書きました」と言われる作品です。お話をいただいたとき、なんの迷いもなく、即座に「やらせていただきます」と言って、撮影の準備に入りました。戦争に翻弄される家族を描いた作品「母べえ」に続く山田監督作品です。

「母と暮せば」の私の役は、夫に先立たれ、助産婦をしながら、二人の息子を育てている母親・伸子です。

 45年8月9日、長崎医科大で勉強中だった伸子の次男は、一瞬にして消えてしまいます。その日から伸子は息子を尋ねて長崎の街を捜し歩くのですが、何の手がかりもありません。

●戦争と平和もっと語って

 伸子の長男はすでにビルマで戦死していました。取り残されてしまった伸子は、ひたすら次男の消息を捜し、帰りを待ちます。そして、あの日から3年が過ぎた48年8月9日、次男がふいに母の前に姿を現すのです。

 長崎の原爆をテーマにした仕事は、私にとって2作目です。最初は先にもふれましたが、99年に朗読詩「第二楽章 長崎から」に取り組んだことです。

 その中に、永井隆博士の遺児、筒井茅乃さんの手記から抜粋、脚色させていただいた「娘よ、ここが長崎です」が収録されています。その作品を通して、茅乃さんにお会いした折、茅乃さんからワインレッド色の美しいロザリオをいただきました。毛糸の手編みのポーチに入れてくださって、いままでずっと大切に飾るだけにしてきたのですが、この映画ではぜひ使いたいと監督にお願いしました。

 クリスチャンである伸子が、息子たちのお墓の前でロザリオを手に祈る場面があるのですが、そのロザリオがそうです。

 茅乃さんにも見ていただきたい映画ですが、彼女はすでに天国に召されています。生きていらしたら、今年の8月で74歳になるはずですが、7年前に66歳で肝細胞がんでお亡くなりになりました。

 朗読で長崎を表現するのとはまた違って、映画で演じるのは正直のところ、すごく難しかった。せりふの一つひとつが、長崎と広島の人々の思いを代弁する言葉のように思えてならないのです。

 でもね、山田監督作品ならではの、寅さんに通じるユーモアもちりばめられているのです。私の息子を演じる二宮和也さんが軽やかで素晴らしい演技をしています。やさしく泣けるファンタジー作品ですし、全編、見てほしいシーンです。

 今回クランクイン前に、二宮さんと監督と一緒に長崎原爆資料館に行き、あらためて、原爆がどれほど恐ろしいものだったのか、心に刻みました。

 戦後70年を迎えて、広島に、長崎に、原爆が落とされたことを知らない若い人たちが増えています。当然、核の悲惨さも知らない。そんな時代だからこそ、世界中から核兵器をなくすこと、戦争の愚かさと平和の尊さを、私たち日本人はもっともっと語っていかなければいけない。

 俳優である私はこれからも、詩の朗読と映画の仕事を通して語り継いでいきたいと思います。

(聞き手・文/由井りょう子、構成/長沢 明)

週刊朝日 2015年8月21日号より抜粋