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 大分県杵築(きつき)市で7月6日未明、木造2階建ての民家が全焼して子ども4人が亡くなった事件で、7月10日、杵築市内の斎場でひっそりと犠牲者の葬儀が営まれた。

 参列者は親族と思われる十数人のみ。傘で顔を隠すなど強固にガード。斎場の入り口には視界をふさぐようにバスが横づけにされ、中の様子をうかがうことはできなかった。

 親族らに直撃しても「お控えください。何も話せません」と言うばかり。それも無理はない。現住建造物等放火の容疑で逮捕されたのは、子どもの父親である海上自衛官の末棟(すえむね)憲一郎容疑者(40)だったのだ。

 火災の現場を目撃した近所の住人がこう語る。

「深夜、末棟さんのお父さんとお母さんの怒鳴り声が聞こえて、その後、バン、バンと大きな音がしたので外を見たら、家が燃えていた。お父さんは2階に向かって『飛び降りろ!』『はよ起きろ!』と叫び、『うおぉぉぉ!』『俺が悪かったんだ!』と、半狂乱になって自宅前でふさぎ込んでいた。お母さんはバケツの水をかぶって中に飛び込もうとして、消防隊に制止されていました」

 焼け跡から見つかった遺体は末棟容疑者の長女(14)、四男(9)、次女(7)、五男(5)のものと確認された。末棟容疑者は取り調べに「自宅に油をまいて火をつけた」と認め、動機は「家を出る際に妻が見送りに出てこなかった」「(妻に)かまってほしかった」などと語っているという。

 4年ほど前に引っ越してきたという一家は、末棟容疑者と40代の妻、息子5人、娘3人の10人。「ビッグダディ」のような大家族として有名だった。

 一家は近所の畑を借り受け、トウモロコシなどを栽培していた。土日は一家そろって畑仕事をする姿がよく見られたという。一家の知人の主婦がこう語る。

「自宅から出るときも、畑から戻るときも『よし、並べ!』と子どもたちを年齢順に並ばせていた。お父さんが『帰るぞ!』と声をかけると、『はい!』と大きな声で返事をして、軍隊みたいに統制がとれていた。夏場はよく自宅の庭でバーベキューをして、にぎやかな笑い声が聞こえていた」

 妻も元自衛官で、二人は恋愛結婚だったという。ただ、規律を重んじる生活は時に摩擦も生んでいたようだ。一家とよく顔を合わせたという男性がこう語る。

「奥さんは年下の夫を立てて、買い物するにも畑を始めるにもこまめに相談していた。ただ、家からはよく怒鳴り声が聞こえた。日曜日や夏休みでも朝7時前から『早く起きろ!』『いつまで寝ているんだ!』という強い口調の声が外まで鳴り響いていた」

 いったい何が、末棟容疑者を犯行に駆り立てたのだろうか。自衛隊内での末棟容疑者は、真面目で部下思いな性格だったという。階級は1尉で、中間管理職のような立場だった。海自の同僚がこう語る。

「上司から言われて部下を注意するが、マジメすぎて、言ったことを部下ができないと我を忘れるようにカッとなって、長時間きつく怒ってしまう。それがパワハラだと、問題になったと聞いています。上司との板挟みになり、自分でもどう部下を指導すればいいかわからないと悩み、それで病院に通い始めたそうです」

 今年3月には山口県下関市の小月航空基地から、広島県江田島市の第31航空群標的機整備隊に異動。単身赴任で、土日に車で長時間かけて広島と大分を往復する生活だった。

 このころから、近所の住人も、一家の様子に“異変”を感じ始めていた。末棟容疑者が子どもたちを通わせていた柔道教室の関係者が、こう明かす。

「4月くらいに、お母さんが子どもたちの送り迎えのときに何度か『パパが心の病やけん、大変です』と言っていた。明るいお母さんだからあまり深刻さを見せなかったけど、ふと漏らしたような感じでした」

 3月の異動がきっかけで、末棟容疑者の心はよりいっそう、むしばまれてしまったという見方もある。前出の同僚は、このように語る。

「しばらく休んではどうかという声もあったが、責任感が強いので休めない。広島ではあまり仕事のない部署に配属されたらしく、『心の病のせいでこんな部署に追いやられて、余計につらい』と、不満を漏らしていた。奥さんは一緒に病院に行ったり、愚痴を聞いたりと頑張って支えていたようですが、キレたら手がつけられない性格が、何かのきっかけであの夜も出てしまったのではないか」

 事件当日も畑から夫婦が仲良く自宅に戻る姿が目撃されていたが、悲劇は突然、起きてしまった。

 末棟容疑者は警察の調べにも、広島での仕事について「閑職でやりがいがない」「イライラしていた」などと話しているという。

 一時の激情に流された代償。それはあまりにも大きいものだった。

(本誌・牧野めぐみ、一原知之、上田耕司、小泉耕平、長倉克枝/今西憲之)

週刊朝日 2015年7月24日号