作家 宮本輝(みやもと・てる)1947年、兵庫県神戸市生まれ。広告代理店勤務を経て、執筆活動へ。77年「泥の河」で太宰治賞、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。著作に『優駿』(吉川英治文学賞)、『約束の冬』(芸術選奨文部科学大臣賞文学部門)、『骸骨ビルの庭』(司馬遼太郎賞)、『水のかたち』『いのちの姿』、『流転の産み』シリーズなど。『田園発港行き自転車』が発売中。2010年秋、紫綬褒章受章。96年から芥川賞選考委員(撮影/写真部・大嶋千尋)
作家 宮本輝(みやもと・てる)1947年、兵庫県神戸市生まれ。広告代理店勤務を経て、執筆活動へ。77年「泥の河」で太宰治賞、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。著作に『優駿』(吉川英治文学賞)、『約束の冬』(芸術選奨文部科学大臣賞文学部門)、『骸骨ビルの庭』(司馬遼太郎賞)、『水のかたち』『いのちの姿』、『流転の産み』シリーズなど。『田園発港行き自転車』が発売中。2010年秋、紫綬褒章受章。96年から芥川賞選考委員(撮影/写真部・大嶋千尋)

「泥の河」「螢川」『優駿』『約束の冬』など数々の名作を世に残し、68歳の現在が「いちばん仕事をしている」という作家・宮本輝さん。長年芥川賞の選考委員を務められ、直木賞選考委員の林真理子さんとの対談では文学談議も盛り上がり、ホンネもちらり……。

*  *  *
 
林:うちの娘、高校生なんですけど、教科書の副読本を開いたら、「現代の作家」で「宮本輝」と1ページありましたよ。見ると芥川賞系の人ばっかりで直木賞系はぜんぜん入ってなくて。娘に「ママもこういうのに載るような偉い人になりなよ」と言われてムッとしちゃいましたけど(笑)。

宮本:それがおかしいんですよ。そういうのは大学の教授とか評論家とかいう人たちが選ぶんですよ。何を純文学というのか、僕、いまだにわかりませんもん。僕も読み方によってはエンタメ系に分類されても不思議ではないし、やぶさかではないからね。芥川賞も吉川英治文学賞ももらったときに、「宮本、おまえ好きなもの書いていいぞ」と言ってもらえたんだと受け取ったんです。

林:振り幅が大きいということで、うらやましいですよ。

宮本:だけどいまだに芥川賞の選考会で「これは直木賞だろう。芥川賞の候補にしたことが間違いだ」と言う人がいるわけ。そうすると、芥川賞と直木賞の違いは何なんだ、つまり純文学とは何なのかという論争になってくる。この論争をすると水掛け論になって選考会が長引くので、僕は最近しなくなってるんです。

林:私は聞かれると「芥川賞をとるのが純文学」って言いますけど(笑)。

宮本:小説って、もっともっとフレキシブルなものだと思う。永井荷風の『墨東綺譚(ぼくとうきだん)』、あれ絶対エンタメですよ。今なら直木賞の名作として名を連ねると思う。

林:私もそう思います。ところで3本連載を抱えているとおっしゃってましたけど、海外取材したような大きなお仕事ですか。

宮本:去年海外取材に行きまして、今、その連載をしてます。始まってまだ1カ月ぐらいですけど、200枚ぐらい書いてしまってるんです。

林:すごい。

宮本:いっぺんに出すと「他に仕事ないのか」と思われるんで、小出しに。あ、言うてしもた(笑)。

林:原稿は手書きでしょう。

宮本:今、僕、書痙になってしまって。細かい字が震えるんです。万年筆でインクで原稿用紙に書いたのは、この『田園発』が最後で、今はパソコンのワードです。

林:えっー、手書き派の大家がまたここで一人減っていくとは。

宮本:文体が変わってしまうという恐怖があったんですが、やってみると大丈夫でしたね。

林:じゃ、この本は本当に記念すべき作品ということですね。「宮本輝ミュージアム」には、自筆原稿は全部収めてるんですか。

宮本:いずれ収めることになると思う。寄贈せなあかんね。最後の生原稿を。

林:健康のほうはいかがですか。教科書や副読本に載るような作家には、長生きしていただかないと。

宮本:体はほんとに元気です。でもそれ、まだ「現代作家」やからいいよ。この前、作家を紹介してる本を見たら、僕、「近代作家」になっててん。近代作家って物故者ちゃうのかって(笑)。よっぽど年とってる人間に思われてるんちゃうかな。

林:それはあるかもしれませんね。大正生まれの織田作之助と同期とか、そんな感じかもしれない(笑)。

宮本:30年くらい前に、初めて村上龍に会ったときも、「僕、輝さんって羽織袴で扇子持って、白いあごひげなでながら出てくる人だと思ってました」って言われましたよ(笑)。

週刊朝日 2015年5月8-15日号より抜粋