3年前、映画「苦役列車」に出演し、同作でブルーリボン賞新人賞と東京スポーツ映画大賞新人賞をダブル受賞したマキタスポーツさん。ミュージシャンやお笑い芸人が俳優業に進出するのは珍しいことではないが、お笑いと音楽を融合させたセンスの独自性と、俳優としての才能が、同時期に花開いたケースは稀だろう。今やバラエティー、ドラマ、映画のみならず、アーティストとしても活躍している。

 将来は芸能の道に進むこと、音楽でも何かを表現することは、中学2年生のときに決めていた。

「小学生の頃は、人が言っていることがよく理解できなかったんです。ずっと頭に靄がかかった状態で。それが、漫才ブームをリアルタイムで体験したときに、『こんなに面白いものがあるのか』と衝撃を受けました。言葉で笑いを取るのって、なんてカッコいいんだろう、と。物事の分別がつかない子供だったせいか、頭の中で何かがヒットした瞬間は、しつこく覚えているんです(笑)」

 中学では、「モテたい一心で」エレキギターを手にした。

「音楽は好きだったけど、歌詞の意味が全然わからない。音楽はただ音として認知するだけのものでした。でも、当時から足りない頭で『なんでここのコード進行はグッとくるんだ?』とか、自分なりに分析してた。僕があとになって、ヒットの構造分析みたいなことを書くようになったのも、ちゃんと教育を受けた人とは違う、外道の考え方を面白がってもらえたのかもしれません」

 頭の靄も晴れた中学から高校3年までは人生の絶頂期。大学に進学したばかりの頃は、「俺はエンターテイナー。東京に出たらすぐ誰かに見つかっちゃうんだろうな」と浮かれ気分でいたが、うまくことは進まず。1年ほど引きこもり生活も体験する。大学卒業後は、一旦実家に戻ってお金を貯め、再度上京。大学4年のときにできた彼女と同棲生活を送った。

「あのときは、まさに恋にうつつを抜かしてました(笑)。『将来俺、絶対芸能界で一花咲かせるから』ぐらいのことを豪語しながら、何の行動も起こしていなかった」

 お笑いの世界に飛び込み、相方と決めた相手に裏切られ、浅草キッドのライブの門を叩いたのが27歳のとき。翌年デビューすると、順調に仕事が舞い込むが、31歳でほとんどのレギュラーを失くしてしまう。そんな最悪の状態で、付き合っていた相手に子供ができ、結婚

「生活苦で、38歳のときについにバイトに手を出しました。ホテルの清掃だったんですけど、『苦役列車』に出演したときは、まさに自分が苦役列車状態のときでしたね(苦笑)」

 そんな彼が、ついに映画「この世で俺/僕だけ」で主演の大役を果たした。相手役は、池松壮亮さんだ。

「俳優は、人にディレクションされるから、何か新鮮ですね。人に面白がられることが、面白いと思う」

週刊朝日 2015年2月6日号