皇位継承者である親王を2人もお産みになっていても、ここまでご苦労なさるのかと感じました。高松宮ご夫妻に取材した際など、喜久子妃は美智子さまのことを、「あまり気をお使いになるからお痩せになるのよ。おしおらしい」とおっしゃっていたことを記憶しています。

 時は流れ、昭和天皇は逝去され、平成の御代になりました。おひとりになった皇太后良子(ながこ)さまは、皇居内の旧吹上御所にそのままお住まいになりました。平成5(93)年に、天皇陛下と美智子さまもそれまでの旧赤坂御所から皇居・吹上御苑に完成した新御所にお移りになります。当時の美智子皇后をお側で支えた井上和子元女官長が先日、亡くなりました。井上元女官長は当時、私にこう話してくださいました。

「明治の昭憲皇太后さま、大正の貞明皇后さま。近代の天皇陛下の母君のお住まいはお堀を隔てて別のところにありました。平成に入り、陛下と皇后さまは、良子さま(香淳皇后)に『スープの冷めない距離』にお住まいになっていただきました。これは、すごいことなのですよ」

 平成7(95)年に美智子さまが詠んだお歌です。

   緑蔭
 母宮のみ車椅子をゆるやかに
 押して君ゆかす緑蔭の道

 天皇陛下が母君の車椅子を押し親孝行なさっている情景を詠まれたものです。天皇家のお歌に車椅子が登場したのです。時代を感じ胸が熱くなりました。

 皇后美智子さまも折に触れ吹上のバラ園で皇太后良子さまの車椅子を押してご一緒に散歩なさいました。平成10(98)年6月。英国、デンマークへの外国訪問からお帰りになった時も、同じ光景がありました。旧知の間柄でおられる英国のクイーン・マザーやエリザベス2世女王陛下の近況をお話しになったのかもしれません。

 毎週末、良子さまがお住まいの吹上大宮御所は華やいだ雰囲気に包まれたものでした。それはお子様やお孫様方のお見舞いがあったからです。今上陛下と皇后美智子さま、そして孫の紀宮さまは、お庭伝いに吹上大宮御所の良子さまを訪問されたのです。秋篠宮ご夫妻と幼い眞子さま佳子さまも、大広間でご一緒にビデオなどをご覧になりました。

 昭和天皇が逝去されて10年余りの時が流れた平成12(2000)年6月16日に良子さまは逝去されました。同年春には97歳のお誕生日をお迎えになり、歴代皇后のなかでは最長寿でした。人生の最晩年を吹上大宮御所でお過ごしになったことは今上陛下と美智子さまのあたたかい親孝行でした。

 黒田清子さんとなられた天皇家の一人娘、紀宮清子内親王は、良子さま逝去の折の印象をこう書かれています。

<陛下が、駆け寄られるように皇太后様のおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」とささやくようにおっしゃったその時に、周りの人々の悲しみがふっとあふれるように感じられました。(以下略)>(『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』から)

 美智子さまはご結婚以来、毎週、昭和天皇と香淳皇后をお訪ねになりました。当時、侍従に取材した限りでは、お会いになった回数は、昭和と平成を合わせると千回を優に超えたと聞いています。恩讐(おんしゅう)を超えたご交流が、そこにはあったのでしょう。

週刊朝日  2014年10月3日号