会津松平家第14代当主「新政府のつくった靖国神社宮司の職を断った父の会津魂」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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会津松平家第14代当主「新政府のつくった靖国神社宮司の職を断った父の会津魂」

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週刊朝日#皇室

 会津松平家第14代当主松平保久(もりひさ)氏が父親の保定(もりさだ)氏について、こう語る。

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 親父の保定は、戦時中に17歳で家督を継ぎました。東京・小石川の屋敷は空襲で焼け、戦後の農地改革や財産税で財産はすっかりなくなりました。おふくろと結婚したときは、6畳一間に住んでいたそうです。

 子どものころは、それこそ「若様」と呼ばれて育ってきた人です。農林中央金庫で働いていましたが、一介のサラリーマンとして生活するというのも簡単ではなかったはず。まあ、サラリーマンとはいいながら、何かあれば会津の用事を優先してましたけどね。だから出世しなかったんじゃないかな(笑)。

 たとえば、5月3日の、初代・正之がまつられている土津神社での例祭と、4日の歴代墓所での会津松平家お花まつりです。土津(はにつ)神社は猪苗代、歴代墓所は会津若松にありますが、親父は毎年欠かさず参列していました。私も、この二つには、小さいころからいや応なく連れていかれました。

 会津松平家お花まつりは、会津らしい簡素なお祭りです。松平家の墓所で、近くでつんだお花を飾って、神主さんが祝詞(のりと)をあげる。たとえ、お祭りがすたれて参列してくださる方がいなくなっても、お前と家族だけででも守りなさい、ということは親父に言われました。

 何よりも会津のことを大事にしていた親父ですが、晩年に一番喜んでいたことは、宮内庁から頼まれて、昭和天皇が亡くなられたときの「大喪の礼」で祭官をつとめたことでした。その後も1年間、昭和天皇の御魂をお守りする行事があったのですけど、毎週のように八王子にある武蔵野陵へ朝早くから行ってました。


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