80年代、テレビで人気の学園ドラマ「不良少女とよばれて」「スクール・ウォーズ」の不良役として鋭い眼光と激しいアクションで魅了した俳優・松村雄基さん(50)。実は当時、親代わりだった祖母が倒れ、その後20年間、介護が続いたという。その時の話を聞いた。

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 家庭の事情で、生まれたときから祖母と二人暮らし。自宅に生徒を集めて詩吟を教えるなど、しっかり者でかくしゃくとしていて、母親代わりに孫の私を厳しく育ててくれました。

 そんな祖母が脳梗塞で倒れたのが18歳のとき。デビュー翌年で、後遺症で体の自由がきかなくなりました。家ではトイレの介助をし、アパート暮らしで風呂がなかったので、銭湯までおんぶしていきました。

 まさに大映ドラマ全盛期で、スケジュールは連日ぎっしり。始発電車で撮影所に入り、仕事中は近所に暮らす叔母一家が介護し、私が終電で戻って交代する……。まさに介護と仕事を往復する日々でした。

 でも、撮影現場は同年代の仲間がいっぱいいる学校みたいな雰囲気で、気分を切り替えられました。介護のせいで友達と遊べないというような不満を感じることはありませんでしたね。

 やがて祖母に認知症の症状が表れてきました。介護を始めて8年目、叔母一家と同居することにしました。それでも任せきりにはせず、交代しながら介護にあたりました。
 祖母は昼夜逆転していたので、夜は私がソファに横になり、祖母の話に付き合いました。介護しながらセリフを覚えた夜も幾度となくあります。

 

 症状は少しずつ、でも確実に進んでいきました。おむつの交換はもちろん、便秘のときには便をほじくり出しました。祖母のプライドを傷つけるんじゃないかと躊躇(ちゅうちょ)することもあったけれど、やらなければ祖母がもっと苦しむ。目の前の介護に精いっぱいで、あれこれ考える余裕なんてありませんでした。

 在宅介護10年目、いよいよ家族だけでは限界を感じ、特別養護老人ホームに入ってもらうことにしました。その決断を私が伝えると、祖母が言ったんです。

「いいよ。おばあちゃん、行くよ」

 そのときのことを思い出すと……。本当は家や家族と離れたくなかったかもしれないのに、とっても優しい笑顔だった。

 それから10年間、特養で過ごし、88歳で眠るように逝きました。穏やかな最期でした。
 最近、20年にわたる祖母を介護した日々を振り返って思うんです。

 まだ一緒に暮らしていたころ、夜中に二人で話していると、祖母がときどきはっきりすることがあって、「あんなことがあったね」「楽しかったね」と思い出話ができた。介護は大変だったけれど、おばあちゃんの孫としてゆっくり向き合えた時間は、私にとってはかけがえのない宝物です。

週刊朝日  2014年7月4日号