子供の頃から、“ごっこ遊び”が好きだった女優の平岩紙(かみ)さん。高校生のときのマイブームは「テレフォンショッキングごっこ」。不要になったカレンダーの裏に、架空の映画のポスターを描いて、休み時間に、タモリさんの役、ゲストの役、ポスターを貼る役を募り、平岩さんは毎日のように脚本、演出、出演の3役を務めた。

「誰かに見てほしいわけでも、笑ってほしいわけでもなく、当時はその役になり切ることが楽しかっただけ。またやってるなと、教室ではいつもの光景になっていましたね」

 娘の空想癖を見抜いていたせいだろうか。「将来は役者になりたい」と言ったときも、両親は驚かなかった。高校卒業後は、東京の舞台芸術学院に進み、そこで出会った友人に連れられ、「大人計画」の舞台を見て、衝撃を受ける。

「最後まで一瞬たりとも退屈しなかった。しかも、ただ面白いだけじゃない。怖いのに面白かったんです。その怖さが、お芝居とは思えないほどリアルで、“役者の人たちは、いったい普段どんな生活をしているんだろう?”って不思議に思いました」

 学校を卒業する20歳のとき、運良く大人計画のオーディションを受けることができた。最終面接までは順調に進み、自己アピールでの審査を残すのみになったとき、前日、考えに考え抜いて、特技のホルンを披露しようと決めた。人見知りを隠すために、遊園地の景品でもらったヒョウの被り物と、100円ショップで買ったサングラスを身につけて。

「私の前には、特技を披露する人なんか誰もいなくて……。自分の番がきたとき、『ホルンを吹きます』と言ったものの、組み立てるのに時間もかかり、被り物をしたときに、松尾(スズキ)さんに、『それ、被らなきゃダメなの?』って聞かれたり。楽器も冷えきっていたから、音も出なくて散々でした。宮藤(官九郎)さんがゲラゲラ笑っていたことは、すごくよく覚えています」

「絶対に落ちた」と思ったオーディションには無事合格。とはいえ、プロになってからの現場は緊張の連続で、最初の10年ほどは、生来の空想癖は封印せざるを得なかった。

「30代になってようやく、少しずつですけど、本来の自分が出せるようになった感覚はあります。私、30代がすごく楽しいんです。劇団の舞台のときも、先輩たちが、全身タイツ姿でいたり、ハゲヅラを被ったりしているのを見ると、『いい年して、こういう格好ができるのっていいなぁ』って幸せを感じます(笑)」

 次なる舞台は、大人計画と劇団☆新感線がタッグを組んだ「ラストフラワーズ」。それもまた、大人たちの壮大なる“ごっこ遊び”の延長かもしれないが、「いのうえひでのりさんのスケール感と、松尾さんの言語感覚が合わさって、すっきり笑える作品に仕上がるんじゃないかと」と、平岩さんは太鼓判を押した。

週刊朝日  2014年6月27日号