拉致事件など三つの事件に関与し、逮捕監禁罪などに問われているオウム真理教元幹部、平田信(まこと)被告(48)の裁判が1月16日から始まった。死刑が確定している教団の大物長官ら3人が、証人出廷する注目の裁判だ。

 検察側は、平田被告が東京・目黒公証役場の事務長だった仮谷清志さん(当時68)拉致事件の計画を事前に把握していたと主張。逮捕監禁罪の成立に自信を見せる。

 拉致現場では近くに止めた別の車の運転席から様子を眺めていたが、当初は「(実際は存在しない)清志さんのボディーガードをレーザー銃で目くらましする役割」を担って現場に来たとし、拉致が行われることを知り得たとした。

 このレーザー銃の使用は、林(現姓・小池)泰男死刑囚(56)が提案し、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が平田被告に命じた。高校時代、射撃部に所属し、出家後もロシアで訓練するなどしていた平田被告の実力を認めてのことだった。

 その腕前から平田被告は95年3月に起きた警察庁長官狙撃事件への関与が疑われていた。

「オウム信者の中に撃った人間がいるとすれば、平田しかいないと思ったが……」(警視庁の捜査員)

 事件は平田被告が逃亡中に時効を迎えたが、検察がそのうっ憤を晴らすように、何度も「射撃」と訴えたのは印象的だった。

 拉致を実行した日の未明、中村昇受刑者(46)=無期懲役確定=は、教団施設で平田被告に計画を伝えた、と法廷で証言した。

 検察官の質問には、「『拉致』という言葉は使わなかったが、私は拉致だと思っていた。被告は非合法の活動は初めてだから、計画をできるだけわかりやすく伝えた」と答えた。そして「被告から明確な返事はなかったが、納得していた」と振り返った。

 この主張に対し、平田被告は「(清志さんの実妹の)信者が監禁されているので救出に行くのだと思っていた。現場で初めて(拉致と)認識した」「(清志さんが)車に乗せられた後のことは知らない」などと起訴内容を一部否認した。

 弁護側も「ほう助(手助け)犯」にとどまると主張。検察側と真っ向から対立する姿勢を見せた。

週刊朝日 2014年1月31日号