AERA dot.

僧侶・小説家の玄侑宗久が問う「葬儀は誰のためのもの?」

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日#終活

 僧侶で小説家の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏は、葬儀は人生の区切りをつける大切な儀式であるとこう語る。

*  *  *
 世の流れだし、葬儀が安くならないかとか、いらないとかいう議論も、市場経済の自然な帰結だと思う。ただ、最近、みなさま、葬儀を「亡くなった本人のためのもの」という視点から考えすぎているのではないか。自分のために大金を使う必要はないから、安く、簡単に、という議論になっていないだろうか。

 葬儀にはもうひとつの面があることを忘れてはならない。これから生きていく我々のためのものという側面である。葬儀は愛する人を思い出し、なんとか悲しみや喪失感に「ふんぎり」をつけ、安心とまでは言わないが、ほのかな希望や生きる力を見いだし、前に進む力をもらう「場」でもあるのだ。少しでもそのことに思い及ぶならば、ちゃんとした葬式が不要だという理屈は出てこないはずだろう。

 わたしがいつも不思議に思うのは、葬儀の金額が高い高いという議論がある割には、「結婚式にお金がかかりすぎる」という声が少ないことだ。大手結婚情報誌の調べによると、日本人は平均350万円を結婚式にかけているというのにである。このことは、「葬儀も自分たちのためにある」という視点が現代に欠けている証拠ではないか。

 結婚式も、葬儀も、人生にひとつの区切りをつけて、よりよい未来へ踏み出すための儀式である。葬儀を軽んずれば人生そのものの意味をどうして保つのか、それが気がかりである。

週刊朝日  2013年12月13日号


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む

   終活 をもっと見る
このエントリーをはてなブックマークに追加