女性婦人科医のさきがけの一人で久地診療所婦人科医、介護老人保健施設「樹の丘」施設長の野末悦子医師(81歳)は、乳がんを患い闘病生活を送った経験を持つ。野末医師のいう病院とのよい関係とは?

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 40年にわたって乳がん検診の大切さを訴えてきましたが、そのきっかけとなったのが、私自身、そして友人の乳がんです。

 私が乳がんを発見したのは45歳のとき。自己検診のため入浴中に意識して左胸を触ると、小さなくるみボタンのような異物がある。おやっと思ってX線検査を受けたところ、8ミリほどの怪しい影が……早期の乳がんでした。

 外科医である主人に相談し、横浜市内の大学病院に入院。手術と放射線治療、抗がん剤治療を受けました。それから35年。今まで再発はありません。

 実は、私が早期がんを発見できたのは、親友のことがあったからです。

 親友が乳がんになったのは、私にがんが見つかる3年前でした。彼女はある人物の書いた本の中にあった「玄米食と手製の湿布でがんが治る」という言葉を信じて、手術を拒否。その結果、回復することなく亡くなりました。その姿を見て「日本の女性がこういう思いをしないよう、乳がんの正しい知識を広めたい」と思うようになったのです。

 乳がん治療は日進月歩で、私が病気を患った三十数年前と今とで、治療法は大きく異なります。例えば当時の標準的な手術では、乳房やリンパ節だけでなく、大胸筋や小胸筋まで切除していました。今からしたら取りすぎですが、私は、乳房を大きく取った喪失感よりも、無事に手術が終わってよかったという気持ちのほうが大きかったです。

 一方で困ったこともありました。術後、手術を受けた側の腕が上がらなくなってしまったのです。このままでは産婦人科医として患者さんを診られなくなってしまう……。しかし、当時は心と体のリハビリをおこなうプログラムがない。結局、自分でリハビリを行い、上げられるようになりました。そこで、がん治療は手術したらおしまいではなく、術後ケアまでトータルで考えなければいけないことを学びました。

 考えさせられたことがもう一つあります。家族に伝えることの重要性です。実は、中学生だった次男はサマーキャンプなどで長期で出かけていたため、私の闘病中は不在で、戻ってきてからも病気や治療のことを伝えませんでした。

 しかし、退院後に乳がんが縁で翻訳したアメリカの本に、家族にも説明する大切さが書かれていて、ハッとしましたね。次男には悪いことをしてしまった、さぞかし不安だっただろうと。それ以降、患者さんには「たとえつらい内容であっても、子どもにも真実を告げてほしい」と、お話しさせていただいています。

 私たちはがんに限らず、さまざまな場面で医療機関のお世話になります。そのたびに、ご自身の望んだ医療を受けられるところを探すのはたいへんです。

 私の場合、主人が医師を紹介してくれましたが、そうやって選べる人はそう多くない。だからこそ病気になる前に見つけておいてほしいのが、生涯を通じての「かかりつけ医」です。

 年に1回は検診を受け、そのうえでかかりつけ医と常時、コミュニケーションをとっておく。そうすれば、いざとなったとき、その人に合ったいい病院、いい医師を紹介してくれると思います。私自身も乳がんの患者さんやそのご家族から相談を受けることが多いのですが、やはり患者さんの希望はもちろん、背景的なところも踏まえて、医療機関を紹介します。

 いい医師やいい病院を探すことも大切ですが、その前に「いいかかりつけ医」を探すこと。こちらをお勧めしますね。

週刊朝日  2013年10月18日号