2度の脳梗塞(のうこうそく)を患った歌手の西城秀樹。現在はリハビリを続けながら、仕事を再開しているが、当時の苦悩や、その苦しみを乗り越えたきっかけを明かした。

「1度目は、『脳梗塞』だと言われても、僕からすれば『東名高速?』ぐらいの感じで、治りも早く、障害もなかったんです。ショックだったのは2度目でした。1度目の後、食事も運動も気をつけてきたのに、『どうして僕がなるの!?』っていうのが正直な感想。右手右足にしびれが出てきて、脳梗塞の知識があったぶん怖かった。殴られた後のような感じが続いて、そのまま半年間は立ち直れなかった」

“ワイルドな17歳”として1972年にデビューし、圧倒的な歌唱力と激しいアクションでトップアイドルに。第一線で活動中の2003年に脳梗塞を発症。その後、見事に復帰して11年に芸能生活40周年を迎えるも、同年、再び脳梗塞に倒れた。

「歩く気力が出ないし、努力する気が起こらない。1度目の脳梗塞の後、努力したのに再発したんだから、もう何もしたくないなって。落ち込むとか、そういう程度のもんじゃない。『あ、死んじゃいたい』って思うほどですね。

 そんなある日、このままじゃただ死んじゃうだけ、“息づく”ために自分にできることからもう一回やってみよう、と思える出来事があったんです。僕が公園で、歩くリハビリをしていたときのことでした。僕と同じ脳梗塞の70歳くらいのおばあさんが、足をひきずりながら歩いていました。公園をせいぜい一周しか回れないんだけど、『大変なのにがんばってるんだな』って、僕もできることを見つけなきゃいけないと思ったんです。

 体の状態は良くなくて、足をひきずっている状態。でも朝7時半に起き、最低1時間は公園を歩き回る。そんなリズムをつけることから始めました。ハードルは高くしたらだめ。低くていいから、何年も持続しなくちゃいけない。脳梗塞は、今日何かをやって明日良くなる病気じゃありませんから。年単位で、ちょっと良くなったなっていう程度です。そういう気持ちを受け入れるまでには時間がかかったなぁ。

 
 リハビリは全部つらいですよ。やさしいものは何一つない。体が鉛のように重いから歩くだけでもつらい。足もおもりをつけているようで、痛いし硬いし、どうしようって感じ。『そんなことできないの?』っていう、子どもがやるようなことも、脳梗塞の患者にとってはすごい大変。肉体的にも精神的にもつらいんです。だからリハビリ中は根気しかない。こんだけ根気あって、こんだけ努力するんだったら、東大でもどこでも受かっちゃうよ。(笑い)」

 そんな苦しいリハビリ生活のなかでも、歌は身近にあった。病気の影響からか、ゆっくりした口調で記者の質問に答えていた西城さんが、歌のメロディーをふと口ずさむと、滑らかで通る声が響き渡った。

「声を出すってことはすごくいいですね。歌には4分音符、8分音符……と、音符がある。それがあることが僕の救いになりましたね。どういうことかというと、普通に話すときはコントロールが大変で、ゆっくり話さないといけない。だけど歌は最初から音符があるためか、ひっかからないんですよ。そこで僕のデビュー曲(『恋する季節』)はアップテンポだけど、バラードで歌うとどうだろうって練習してみたりして、改めてデビュー曲の良さを感じたりもしましたね」

 以前は、冬はスキー、夏はサマースポーツと、自称「四季を全部感じる人」だった。身長181センチだが、現在の体重は病気の前から9キロほど減って71キロになった。病で思うようにいかない部分も受け入れると、これまで見えなかったものが見えてきた気がするのだという。

「病気の前と後とでは、百八十度違うということを認識する。今は何ができるのかを見つける。それしかないです。以前と比べたら落ち込むだけだから、比べちゃいけない。かつてはスポーツマンだったから何でもできました。僕の子どもは言いますよ。昔のビデオを見て『パパ、このときはまだ足、大丈夫だったね』って。『お前、見るなそんなもん』とは言えなくて、見るんですよ、一緒に。しっかり目に焼き付けて、『あのときは健康だったな。よし早く良くなろう』って気持ちを前向きに持つようにするんです。

 今は虫ひとつ見ても『生きてるんだな』と感じたり、花を見て『のびのび育っているな』と感じたりします。そして、幸せなことはどこにでも転がっているということにも気付きました。『病は気から』というように、気は大事。やる気、病気、ヒデキー! 全部キが付くでしょ。(笑い)」

 今後は歌手活動に加え、ひとりの患者として、脳梗塞の体験談などを伝える取り組みも続けるという。

「調子が良くないときもありますが、ステップアップの兆しは自分でもわかっています。病気前は、かっこよく見せたいっていうのが常に先にあって、走っていた気がします。でも今は、僕のありのままを見せてやっていこうと思っています」

週刊朝日 2013年5月17日号