最近、スポーツ選手や政治家の引退表明が相次いでいるが、その人の人間性は、引き際の姿にこそにじみ出る。1993年、非自民連立内閣のトップとして、第79代首相の座に就いた細川護熙氏は、在職日数263日で首相を辞任。4年後の98年には60歳で衆院議員も辞職するという「引き際」をみせた。細川氏に当時のことを聞いた。

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 衆参両院本会議で政治改革関連4法が可決された翌日の94年1月30日、当時新生党の代表幹事だった小沢一郎さんが総理公邸に来られた。私はこう申し上げました。

「私の使命はすでにほぼ達成しました。政権は、ただ長きをもって貴しとせず。よっていつ総理の座を辞するもやぶさかならず」

 そのころにはすでに、私の中で辞任の決意はほぼ固まっていました。課題だったコメ市場の部分開放に続き、政治改革関連法の成立を実現したことで、一定の成果をあげたという達成感がありました。

 その後、次第に連立政権内で各党間の亀裂が拡大し、官邸は機能不全に陥ります。加えて政権奪還を目指す自民党が、私の佐川急便からの借入金問題を持ち出し、予算審議を止めました。私自身は何らやましいところはなかったのですが、国民生活に影響が出かねない状況になり、辞任の決断に至ったのです。

 辞任については、誰にも相談していません。本県知事を辞めるときもそうでした。進退の「進」については、友人や家族に相談して意見を聞くのも悪くないと思います。でも「退」については、いっさい相談すべきではないというのが私の考え方です。近くにいる人は、みんな止めようとしますから。

 身内に対しても同じです。首相を辞める前々日に妻に話したら、「あぁ、そう」ってね。いつもそうですよ。しょっちゅうお騒がせしてきましたからね。妻も慣れたものです。

週刊朝日 2012年11月23日号