福島原発の事故以来も、楢葉町の警戒区域内にある自宅に住み続けている人がいる。伊藤晋さん(59)とその妻・巨子(なおこ)さん(63)、伊藤さんの義母、高原寿子さん(93)だ。そこには町役場や警察、東電などには全く理解されないという現実があった。

 寿子さんは10年ほど前から寝たきりで、外出することは年に一度もない。そのため、震災翌日から避難を呼びかける声があっても

「この寒さの中、家を離れ避難することは、死ねということと同じだと思った。まだまだ、母を死なせることはできない」

 と巨子さんは考え、伊藤さんもそれに同意し、警戒区域内に残ることにした。

 巨子さんは、震災、原発事故からずっと日々の様子を時系列でメモしているという紙の束を見せてくれた。その中の、昨年の4月28日のところに、

〈記念すべき日! 通行許可証の件、警察と2時間も問答する〉

 と書かれている。

 警戒区域に入るには、通行許可証が必要だ。大半は原発作業の車両のため、東京電力が発行している。そこで、東電に事情を説明し、交渉するが発行してもらえない。楢葉町役場も発行する権限があるのだが、やはりダメだった。

「立ち入り許可を与えて万一のことがあれば、町が責任を問われかねないため、発行には消極的だった。事故から半年くらいまでは、ほとんど許可証は発行されなかったはず」(松本喜一・楢葉町町議)

 だが、無人の警戒区域では、外に出ないと食料や水、薬が調達できない。

 昨年4月22日に警戒区域となってから、20キロ圏内への立ち入りは法的に規制された。通行許可証が発行されない伊藤さんは、検問のたびに、

「私たちは、警戒区域に住人がいると承知していない。怪しい」

 と疑う警察と口論になった。巨子さんは言う。

「通行許可証が発行されないので、楢葉町役場では副町長に直談判したが、『たまには風呂にも入りたい』と訴えたら、『とんでもない、ぜいたくな』と恫喝された。町役場、警察、東電、みんな理解してくれなかった。飢え死にするかもしれないと覚悟した」

※週刊朝日 2012年4月6日号