11月15日、参院予算委員会に出席した蓮舫行政刷新相(43)には、事業仕分けで「2位じゃダメなんですか」と歯切れよく切り込んだ当時の面影は微塵(みじん)もなかった。

 自民党の西田昌司参院議員が、「野田政権と闇社会の『点と線』」について報じた本誌の記事などを手に、大声でこう問いただした。

「ここに書いてあるところを見ますと、9月21日、ちょうどあの台風15号が来ました。首都圏を襲って帰宅困難者まで出たあのときに、蓮舫大臣は麻布十番のお店でその方と一緒に何か祝杯をあげていたという報道がありますが、これは事実ですか」

 本誌は9月下旬から、蓮舫氏と手塚仁雄(よしお)首相補佐官(45)が、2005年に覚醒剤事件で逮捕され、闇社会との付き合いが取りざたされた不動産会社「ダイナシティ」(08年倒産)の中山諭(さとし)元社長(48)から、現在も接待を受けるなど「不適切な関係」を続けている実態を報じてきた。

 蓮舫、手塚両氏は08年と昨年、執行猶予中だった中山氏の招待で青森のねぶた祭に行った。昨年、2泊3日で見物した際には、蓮舫氏は行政刷新相だったため、家族だけでなくSPまで同伴していた。

 さらに、今年に入ってからも、都内の高級割烹などで頻繁に中山氏の接待を受けていた。

 蓮舫氏はこれまで本誌の取材には一切応じてこなかったが、国会では黙(だんま)りを決め込むわけにはいかない。顔面蒼白の緊張した面持ちで一連の事実関係についてようやく口を開いた。

蓮舫 ご指摘の日に同僚議員と会社の関係者と会食はしました。
西田 いやいや、その人(中山氏)と一緒にいたのかと聞いているんです。
蓮舫 同席しておりました。
西田 もう一つ聞きますが、2010年8月ですね、その方と一緒に大湊ネブタに行かれましたか。
蓮舫 はい、その通りです。
西田 そのときはどういうグループで行かれたんですか。
蓮舫 同僚議員もおりましたし、その方とその会社の関係の方、交友関係がある方、団体で参加しました。
西田 そのとき、大臣になっておられましたから、SPの方も一緒に行かれたんですね。
蓮舫 は、はい。

 その瞬間、参院の第一委員会室がドッとどよめいた。

 さらに、西田氏は、蓮舫氏が国会議事堂内で史上初のファッション誌の撮影を敢行し、問題となった「VOGUE NIPPON」(10年11月号)のインタビュー記事を手にこう迫った。

「(中山氏の招待のことには触れず)蓮舫大臣が家族と一緒に青森の大湊ネブタを見に行ったことが、
堂々と書かれてあるんですよ。普通、はばかりますよ。どういう神経なんですか。反省もくそも、そんな余地はないでしょう」

 もともと誰から中山氏を紹介されたのか、と畳み掛けられると、蓮舫氏は蚊の鳴くような声で「手塚仁雄議員です」と答えた。

 そして、動揺したのか、"致命的"な答弁を続けた。

西田 この方は脱税のガサ入れに入ったら、愛人宅でシャブを打っていたと、覚醒剤の現行犯で逮捕された人物ですよ。そのことは大臣、ご存じですね。
蓮舫 その事実自体、私は存じませんでした。週刊誌の取材をいただいて、それで確認をして事実を知りました。
西田 じゃあ、あなたはいつ知ったんですか。
蓮舫 今年、週刊誌の取材がきたときです。
西田 事実を確認されて、どう思いました。
蓮舫 いや、過去に逮捕歴があったということですから、また内容が内容ですから、知らなかったことは私の不注意だし、反省をしましたし、それ以降、お付き合いは控えています。

 ここで言う「週刊誌」とはむろん本誌のことだろう。本誌がこの問題で初めて蓮舫氏に取材を申し込んだのは9月22日だった。それまでは知らなかったと国会で明言したわけだが、これはまっ赤なウソである。

◆「関係」を認めた事件直後の取材◆

"マンション界の風雲児"ともてはやされ、自社のジャスダック上場を果たした中山氏が05年6月に逮捕されたとき、永田町のみならず芸能界やスポーツ界まで蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。

 中山氏は逮捕直前までクリスマスや正月といったイベントにかこつけては都内の一流ホテルなどで派手なパーティーを催し、蓮舫氏のような政治家だけでなく、プロ野球やJリーグの選手、大相撲の力士らまで集めていた。そのため多くの週刊誌が大々的にこのショッキングな覚醒剤事件を取り上げた。

 同年8月には中山氏の元側近I氏も強制わいせつ事件で逮捕され、10月には中山氏が懲役3年執行猶予5年の判決を受けた。

 中山氏の逮捕直後、取材を受けた蓮舫氏は以下のようにコメントしていた。

「手塚氏の紹介でご一緒しました。世間話をした程度でその後はお会いしていません」(「週刊ポスト」05年7月15日号)

 つまり、どんな世間知らずだったとしても、この取材を受けた6年前の時点で、蓮舫氏は覚醒剤事件を知ったはずである。今年9月に本誌の取材を受けるまで知らなかったとは笑止千万だ。

 しかも、今となっては、この週刊ポストでのコメント自体がデタラメだったと言わざるを得ない。蓮舫氏をよく知る民主党関係者がこう証言する。

「蓮舫が参院選に初出馬したとき(04年7月)、選対を仕切った手塚さんが支持基盤のない彼女の支援を中山氏にお願いし、ワイン好きの3人は意気投合しました。恩義を感じた蓮舫は中山氏が逮捕される直前まで、会社の入社式やパーティーに律義に顔を出していました。世間話程度の関係じゃないし、事件を知らなかったなんてあり得ません」

 蓮舫氏を中山氏に紹介した手塚氏も、覚醒剤事件が起きた直後、神妙にコメントしていた。

「中山氏は今時珍しい豪快で親分肌の人。(03年に受けた100万円の献金は)私としてはこうなってしまった以上、早く返却したいと考えています」(「週刊ポスト」05年7月15日号)

 だが、そんな言葉とは裏腹に、2人の中山氏との「不適切な関係」は、事件後、さらにエスカレートしていった。

 手塚氏が代表を務める政党支部の政治資金収支報告書によると、執行猶予中だった中山氏から07年に300万円、09年に250万円の献金を受けた。中山氏の元側近I氏からも04~08年に計100万円以上、中山氏の弟からも09年に200万円。全部で1千万円近い献金を受けてきたのだ(手塚氏は本誌の取材に対し、「返金する」と回答)。

 冒頭の予算委員会に話を戻そう。西田氏は蓮舫氏の答弁にこう疑問を呈した。

「知らなかったとはあり得ないんですね。この方はすごく大きな商売をされた風雲児でしたし、あなたの選挙の直後に逮捕された」

 しかし、続いて任命責任を問われた野田佳彦首相(54)は懸命に弁護した。

「蓮舫さんがご家族も含めてねぶたに行ったということは、まさに過去の履歴を知らなかったからだろうというふうに思うんです」

 さらに、中山氏側から手塚氏へ1千万円近い献金があったことを追及されると、野田首相は他人事のようにこう述べた。

「献金については知りませんし、私自身が調べることはありません。大臣も政務三役も基本的に任命をしていますけど、それぞれに対するご批判は、ご本人が説明するものです。(交際も)基本的にご本人が判断すべきものだと思います」

 場内から一斉にすさまじいヤジが飛んだが、首相はトレードマークの"ドジョウ"のごとく、身をすくめるばかりだった。

◆ドジョウ総理も「当事者」だった◆

 実は、このそっけない首相答弁の裏にも、とんでもない事実が隠されている。

 そのヒントは、野田首相の側近、手塚氏のブログに記されていた。

「(昨日は)大安吉日、春爛漫の佳き日に、日頃から親しくお付き合いをしている某企業グループの会長のご令嬢の結婚式で、光栄にも媒酌人を務めさせて頂きました。赤坂日枝神社での神式による挙式に始まり、ホテルのフロアを貸し切る約40卓の華燭の盛典。23歳の新郎と22歳の新婦と共に高砂の席から会場を見渡せば、著名な大阿闍梨、将来の総理、大企業の経営者、ボクシングの世界チャンピオン、開幕を控えるプロ野球選手、人気のタレント、往年のロックスターなどなど。少々の場数を踏んで来た私にとってもかなり重圧のかかった大役でした(大汗)」(09年3月30日のブログから)

 この結婚披露宴の出席者はこう話す。

「手塚さんのブログに登場する『企業グループの会長』というのは、当時はまだ執行猶予中だった中山さんです。『将来の総理』というのは野田首相のことでしょう。披露宴の主賓席に、蓮舫さんや他の民主党議員と一緒に座ってましたから」

 この問題を追及した西田氏は、もはやあきれ顔だ。

「国会で開き直った蓮舫大臣、手塚補佐官を、野田首相が『調査する必要はない』とかばった理由がわかりましたよ。首相も彼らと一緒に披露宴に出ていたわけだから、この問題を追及すると自分で自分の首を絞めることになる。だから、はぐらかし、予防線を張ったのでしょう」

 野田首相と蓮舫、手塚両氏に改めて取材を申し込んだが、これまで同様、「担当者が不在」と言うばかりだった。中山氏にも取材を申し込んだが、回答はなかった。

 11月20日から始まる「提言型政策仕分け」に備えるため、蓮舫氏は、日本原子力研究開発機構の宿泊施設を視察するなど精力的に動き回っている。だが、前途は多難だ。

「今国会でもう一度、予算委員会の集中審議を開くように要求します。そこで蓮舫大臣の虚偽答弁を徹底的に追及する。絶対逃しませんよ」(自民党国対幹部)

 目玉大臣がこの体たらく。ドジョウ内閣は早くも末期症状を呈してきた。  

週刊朝日