「死ぬまで雑誌を作りたい」

2010/12/07 14:23

ツルシカズヒコ(以下ツルシ) 僕が『「週刊SPA!」黄金伝説1988~1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)という本を書いたのは、雑誌の歴史の空白を埋めたかったから。人気雑誌の編集現場の記録が残っているものって、「平凡パンチ」と「ポパイ」までなんですよ。平成の雑誌の代表としての「SPA!」を記録に残しておきたかったんです。
 中森明夫(以下中森) 編集者の回顧録はたくさん出版されてますけど、この本は単なる思い入れや経験談だけじゃない。当時のデータが細かくちりばめられていて、ジャーナリストの目が入っている。それを編集長経験者が書いたということに意味があると思う。
 
 《「週刊SPA!」は1988年に、老舗週刊誌の「週刊サンケイ」をリニューアルして生まれた。中沢新一や田中康夫といったポスト団塊世代の論客やサブカルチャーの旗手たちを積極的に起用して、20~30代の男性読者から大きな支持を得た。ツルシ氏は「SPA!」編集者時代に宅八郎を発掘し、副編集長のときには、小林よしのりを口説いて人気マンガ「ゴーマニズム宣言」をスタートさせた。
 一方の中森氏は90年代の「SPA!」で「ニュースな女たち」と「中森文化新聞」という二つの連載を持っており、まさに看板ライターとして活躍していた。》
 
 ツルシ 今の「SPA!」の読者は「SPA!」の前身が「週刊サンケイ」だったなんて知らないんじゃないかな。日本の雑誌の100年あまりの歴史を振り返ると、「SPA!」というのは週刊誌の最終形の一形態だと思うんですよ。
 中森 確かに、「SPA!」と同時期に創刊した「AERA」と「Hanako」は今でも残ってるけど、それ以降の週刊誌で成功したものってないよね。
 「SPA!」はある意味90年代を象徴する雑誌だったし、僕も90年代をまるまる「SPA!」にかかわってきた。90年代で最も重要なのが、阪神大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件のあった95年。ちょうどその年にツルシさんが編集長を辞めているということも、この本を90年代論にしていると思うんです。
 ツルシ バブルが崩壊して景気が下り坂に入り始めたころでも、扶桑社の親会社であるフジテレビの「楽しくなければテレビじゃない」的なノリがあり、「SPA!」編集部にはバブルのポジティブ感が漂ってました。雑誌って売れてくると、そこに特殊な磁場が発生して運動体になる。あの一種異様な高揚感を体験できたのは貴重でしたね。
 中森 91年に湾岸戦争が起こったりと、90年代って実は政治の季節だったんです。その政治を巡って、文春と朝日というお約束としての対立構造が成立しているなかで、「SPA!」というのは何だかよくわからない雑誌だった。
 各誌が右だ左だってやってるときに「SPA!」は、「フセインの手相を見る!」って記事をやったんだから(笑い)。これはすごいなと思いましたよ。そうか、これが「SPA!」的なポジションなんだとわかった気がしましたよ。
 ツルシ それまでの「週刊現代」や「週刊ポスト」が団塊の世代に向けて作られた週刊誌だったのに対して、「SPA!」は20代から30代のヤンエグと呼ばれる人たちがターゲットでした。
 でもそれは広告向けの建前の読者層で、僕はヤンエグなんて全然、眼中になかったですもん。ただ自分の好きな雑誌を作っていただけですから。それが結局は、おたくや新人類といわれる人たちに受け入れられたんです。

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