その伝統は桓武平氏とともに。由緒ある千葉神社のだらだら祭り(妙見大祭)とは? (1/4) 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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その伝統は桓武平氏とともに。由緒ある千葉神社のだらだら祭り(妙見大祭)とは?

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世の中には長い歴史を誇る祭りは数多いもの。でも、遠い昔から一度も途切れることなく毎年続けられてきた祭りとなると、そうそう見当たらなくなります。たとえば、京都を代表する祇園祭や葵祭もたびたび途絶・中断されていますし、日本三大祭の天神祭も、また神田祭も明治時代の将門台風や近年の東日本大震災などで中止されています。しかし、千葉氏の氏神社として知られる千葉神社で開催される妙見大祭は、平安時代の大治2(1127)年から営々と途切れることなく続けられてきた稀有な古祭。毎年8月16日より、北斗七星の七にかけて七日間にわたり祭りが行われます。

約900年一度も途切れず受け継がれた!妙見大祭縁起

厄年祓・星厄消除・八方除・方位除の神社として、またプロの占い師、風水師からの信仰の厚い千葉神社は、長保2(1000)年に創建されました。平安時代、上総・下総・常陸に勢力を拡大していた豪族・千葉氏七代・千葉常重が、関東の海運・陸路の要衝であった現在の千葉市中心街付近に本拠を移し、亥鼻山に亥鼻城を築城した大治元(1126)年の翌年に、千葉氏の守護本尊である妙見神の分霊を神輿に乗せて亥鼻城の麓に向かう「妙見大祭」は始まりました。当初は北斗山金剛授寺といい、妙見菩薩を祀るお寺でしたが、明治の神仏分離令により妙見本宮千葉神社に。
8月16日にお神輿が神社を出て、亥鼻山の麓の御仮屋に一週間逗留し、最終日である8月22日(妙見様のご縁日)に再び神社へと戻ってきます。祭りが七日間に及ぶのは、祭神である妙見様(妙見菩薩/北辰妙見尊星王)の姿とも、その乗りものとも言われる北斗七星に因んで、その七つの星の一つ一つに願いを掛ける願掛けのお祭りだからです。22日の縁日から7日さかのぼり、初日が16日に設定されているわけです。
初日の宮出しに際しては、献幣使(けんぺいし)が招かれ、巫女舞奉納の後に、氏子たちにより担がれた大神輿が千葉の町に繰り出します。千葉神社の神輿の担ぎ方は独特で、神殿・拝殿境内では肩に担ぐことが許されず、腕を高く掲げて空に突き出し、その後ひざ下まで低く下ろします。町内渡御の間も、そろいの千葉氏の紋章を染め抜いたはっぴを着た担ぎ手たちは、要所でその動作を続けなければなりません。この独特の神輿揉みは、三度下へおろし、ヤレヤレヤーの掛け声で頭上高く差し上げるという激しいもの。 神輿には猿田彦と御旗鉾、大太鼓、お囃子が先導します。この大太鼓の叩き方も千葉神社独特の「二段打ち」という特殊な叩き方で、左右それぞれに2名ずつの撥手がつき、左右順に叩いていきます。二人が同時に叩くので微妙な時間差が生じ、その音が「だらん、だらん」と響くために「だらだら祭り」の名の由来となりました。


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