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【復活】
「不死鳥コンサート」で完全復活を果たした歌姫は精力的に活動再開。不世出の大スターとしての「伝説」を築いた
1987.10.9
退院後の自宅療養中に、日本コロムビアのスタジオで319枚目のシングル「みだれ髪」をレコーディング。「美空ひばりという私は、やっぱり歌を歌うために生まれてきた」と語った (c)朝日新聞社
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1988.4.11
「伝説」を不動のものにした「不死鳥コンサート」。前年の大腿骨骨頭壊死と肝臓病から1年をへて、完成したばかりの東京ドームで5万人のファンを集めて39曲を熱唱した (c)朝日新聞社
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1988.4.29
カムバックを祝して西武池袋本店で開催された「“不死鳥”美空ひばり展」の初日、東京ドーム公演の写真パネルの前でファンに挨拶。療養中に描いた絵も展示された (c)朝日新聞社
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1986.2.18
足の痛みをおして芸能生活40周年記念公演「春秋千姫絵巻」を梅田・新宿のコマ劇場で上演。「錦兄ぃ」と慕っていた萬屋錦之介と舞台での初共演。写真は発表会見での一コマ (c)朝日新聞社
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1988.5.28
51歳の誕生日前日に赤坂プリンスホテルで関係者を招いてミニコンサート「感謝と母を偲ぶ会」を開催。生バンドを入れて歌った。収益は日本赤十字社と福祉団体に寄付 (撮影/高井正彦)
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【一卵性母娘】
1981年に母を喪うまで常に行動を共にした。舞台の台本も書いた母親の力は計り知れず、「美空ひばり」は母と娘の合作とまで言われた
1971.4
名古屋・御園座での1カ月公演「祇園物語 恋の花見小路」の楽屋風景。鏡には、祇園芸者に扮するひばりを背後から凝視する母・喜美枝さん。母娘は公演先でも同じ部屋で寝起きした (c)朝日新聞社
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1971.5.29
東京ヒルトンホテルで芸能生活25周年の記者会見をした後、多くの招待客を迎えて誕生パーティーを開催。34歳になったばかりのひばりさんは「やっと25歳になりました」と笑った (c)朝日新聞社
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【療養】
その兆候は2年前にあった。恒例のゴルフコンペの最中、足の痛みを訴えた。我慢しつつ活動していたが、1987年4月、入院した
1987.7.28
福岡市の病院に4月下旬から入院していたが、7月25日から3泊4日で、長崎県雲仙で転地療養。入院中に翌年の不死鳥コンサートの企画が持ち込まれ、それを目標に療養に励んでいた (c)朝日新聞社
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1987.8.3
3カ月にわたる入院を終え、空路で帰京。羽田空港近くのホテルで退院会見に臨む。足を引きずり、杖をつきながらだったが、「お酒はやめますが、歌はやめません」と力強く語った (撮影/植嶋政義)
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1987.9.13
退院してから初めての外出は、横浜市の日野公園墓地に眠る母・喜美枝さんの墓参り。まだ長く歩くのはつらそうだったが、養子の加藤和也さんが付き添って支えた (c)朝日新聞社
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【伝説】
平成30年間で2000万枚以上のセールスを記録して累計1億枚を突破した。没後30年、令和になってもその人気は衰えていない
1949.8
9月10日発売のレコード「悲しき口笛」も、10月24日封切りの初主演映画「悲しき口笛」も大ヒット。小学6年生ですでに大スターの風格。写真は浅草国際劇場の楽屋での一幕 (c)朝日新聞社
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1971.5月ごろ
秩父市民会館でのコンサートには5000人を超えるファンが集まった。この年、自伝出版、後に養子になる和也さんも誕生。充実の一年だった (c)朝日新聞社
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1971.5月ごろ
秩父市民会館でのコンサートのフィナーレ。ファンからの花束を受け取るひばり。舞台袖から母・喜美枝さんがその姿を見守っている (c)朝日新聞社
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1971.5
芸能生活25周年記念「’71歌声はひばりと共に」の新宿コマ劇場公演のリハーサルには、全く化粧をしないスッピン姿で現れた (c)朝日新聞社
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History 美空ひばりの生涯
(週刊朝日 2019年6月28日号より)
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