トフレディ・ハバード『ブレイキング・ポイント』
トフレディ・ハバード『ブレイキング・ポイント』

●世界は「唯一無二」「一音入魂」のジャズメンを求めている

 果たして自分はジャズ・ピープルなのか? と思うときがあります。 「ジャズを中心にした仕事をしているのに何をいうか貴様。この罰当たりが、独房でアタマ冷やしてこいっ!」といわれそうですが、いわゆるジャズと呼ばれる音楽(その範囲はとてつもなく広いものです)の何割が本当に自分の好きなものか、棺おけに入れてあの世まで持って行きたいものかと考えると、これが実に難しい。

 ビ・バップが(全部)好きか? フリー・ジャズが(全部)好きか? ぼくはドラムスやサックスが特に好きなのですが、ではすべてのドラマーやサックス奏者の演奏を好んでいるのか? 違います。

 私はジャンルではなく「ひと」を聴いているのです。奏者の明確なキャラクター、いいかえれば「替えの利かないワン&オンリーの個性」。いくら楽器の技巧が優れていても、それが感じられなければ、わが心はときめきません。デューク・エリントン、ルイ・アームストロング、チャーリー・パーカー、エリック・ドルフィー、ウィルバー・ウェア、ジョー・ヘンダーソン、フィリー・ジョー・ジョーンズなどなど、わがフェイヴァリット・ミュージシャンは、素晴らしい楽器使いであると同時に、独特の語り口を持ち、自分の声のように楽器を鳴らし、バンドを躍動させ、しかも「一音入魂」です。彼らの音を聴いていると、会ったことなど一度もないのにその人格と触れ合ったような気分になります。今はもういないはずのミュージシャンたちが、向こう側から手を差し伸べて握手してくれているような感触へといざなってくれます。

●60年代ジャズのトランペット・ヒーロー

 フレディ・ハバードも、私にいわせると強烈な個性の持ち主のひとりです。1960年代の録音を聴くと(とくに65年前後)、よくもまあ、こんなに跳躍の多いフレーズを、とんでもないリズム感で吹きこなせるものだと驚くしかありません。モードもブルースもファンキーもパーフェクト、しかもバラードも滅法うまい。音の圧力、アドリブのスリルともども、この時期のフレディにはリー・モーガンもウディ・ショウもかなわないような気がします。1970年代に入ってCTIレーベルからヒット作を発表する頃になると、プレイにはややハッタリが目立ち始めました。トリルを繰り返した後、高音で見栄を切るようなフレーズを吹き、さらにそのフレーズを1オクターヴ上で繰り返すという技は、CTIオールスターズやVSOPクインテットのライヴ盤などで聴くことができます。「オーディエンスの前では、こう盛り上げたほうがウケる」ということを体得したのかもしれません。

●なるほど、たしかに。それはうなずける

 私は1996年に一度だけフレディに話をきいたことがあります。かつて「俺は世界一ラウドなトランペッターだ」と豪語していた彼ですが、96年当時のプレイは無残なほど衰えていました。しかし語りは絶好調。「俺は手のつけられない不良だった。ジャズやトランペットに出会わなかったら、マトモな暮らしはできなかっただろうね」、「トランペットは独学だ。唇を思いっきりマウスピースに押し当てて、パワーで吹くんだ」、「お前、スイングジャーナルの記者だろ?(当時、同名のジャズ雑誌があった) 俺を表紙にしてくれよ」、「CTI時代は儲かったぜ。おかげで家が買えた。今もサンプリングされた印税も入ってくるし、悠々自適よ」などなど。私は彼のビッグマウスに、往年のビッグ・トーン(かつて“ジャズ・トランペット界のモハメド・アリ”といわれたそう)を重ね合わせ、なんだかうれしくなりました。

 しかし、今、ウィキペディアで調べたら、フレディは少年の頃、音楽院で交響楽団のトランペット奏者にレッスンを受けているではありませんか(ということはクラシックのレッスンだ)。しかも彼を音楽院に紹介したのがリー・カッツマン(スタン・ケントン楽団にいたトランペッター。ペッパー・アダムス『クリティックス・チョイス』等に参加)だったとは。

 これは一本とられた。だけどあの、全盛期のプレイは確かに、基礎を徹底的に身につけなければ不可能なものでしょう。アヴィシャイ・コーエン、アンブローズ・アキンムシーレ等、今のトランペット・シーンはけっこう華やかですが、もしここに、60年代のフレディ級のインパクトと迫力を持った若手トランペッターが登場したら、ジャズ界はさらに面白くなるに違いありません。