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「鉄道」に関する記事一覧

東京タワーが「東京のタワー」だったと感じる53年前の西麻布 こんなにも見えた理由は?
東京タワーが「東京のタワー」だったと感じる53年前の西麻布 こんなにも見えた理由は? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、かつて東京タワーを遠望できた西麻布交差点付近の六本木通り沿い「笄坂(こうがいざか)」を上る都電だ。
江戸の名残「半蔵門」54年前の都電 名前の由来は「服部半蔵」から?
江戸の名残「半蔵門」54年前の都電 名前の由来は「服部半蔵」から? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、江戸城甲州口といわれた「半蔵門」の都電だ。
都電が消えた「高田馬場」と残った「早稲田」 東西線が走り始めた54年前の光景は?
都電が消えた「高田馬場」と残った「早稲田」 東西線が走り始めた54年前の光景は? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、早稲田大学のホームタウンといえる高田馬場(たかだのばば)駅前の都電だ。
関東大震災、大空襲… 苦難を乗り越えた「東京駅」と路面電車 53年前のその姿とは?
関東大震災、大空襲… 苦難を乗り越えた「東京駅」と路面電車 53年前のその姿とは? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京ステーションシティとして駅から街に変身する東京駅丸ノ内を巡る都電だ。
場所取りばかりで撮影方法が他人と同じ「撮り鉄」は、もはや思考停止? いい写真の条件とは
場所取りばかりで撮影方法が他人と同じ「撮り鉄」は、もはや思考停止? いい写真の条件とは 被写体として人気の鉄道だが、悪質な撮影行為はトラブルどころか、事件・事故にも結びつきやすいものだ。実際、線路への立ち入り、草花の踏み荒らしなどが連日のように伝えられ、一部の愛好家のせいで多くの「撮り鉄」は肩身の狭い思いをしている。撮影愛好家はどう振る舞うべきなのか。アサヒカメラ特別編集『写真好きのための法律&マナー』では、写真家の小竹直人さんに話を聞いた。
上野「不忍池」を走った50年前の路面電車 鮮やかに写す貴重なカラーポジは当時いくら?
上野「不忍池」を走った50年前の路面電車 鮮やかに写す貴重なカラーポジは当時いくら? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、四季の移ろいが豊かな不忍池(しのばずのいけ)を専用軌道で巡る都電だ。今回は当時貴重だったカラーポジフィルムで撮影された作品を掲載する。

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悪質な「撮り鉄」マナー 乗務員に向かってストロボ撮影、呆れたその言い訳とは?
悪質な「撮り鉄」マナー 乗務員に向かってストロボ撮影、呆れたその言い訳とは? 「撮り鉄」が引き起こすトラブルを目の当たりにするたび、うんざりしている写真愛好家は多い。鉄道会社や乗降客に迷惑をかけるだけでなく、不法侵入や器物損壊、鉄道営業法違反、威力業務妨害といった違法行為にも及び、「一部の人の悪行であり、ルールを守って撮影している自分と同じと思われたら困る」という心理が働くからだろう。「人よりいい写真を撮りたい」という気持ちは誰にでもある。しかし、自分さえよければいいのだろうか? 「撮り鉄」の中には、「自分が撮った写真によって鉄道の魅力を伝えることができる」と考える人もいるようだが、そのためには何をしても許されるのだろうか? アサヒカメラ特別編集『写真好きのための法律&マナー』では、鉄道写真家・櫻井寛氏を取材。撮影愛好家はどう振る舞うべきなのか、話を聞いた。
ベイエリアの眺望と下町風情が入り交じる「月島」の今昔 50年前はどんな景色に?
ベイエリアの眺望と下町風情が入り交じる「月島」の今昔 50年前はどんな景色に? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、豊洲新市場にほど近く、超高層マンション群がそそり立つ「月島」の都電だ。
住みたい街、大人の街「恵比寿」の変貌 都電が結んだ中目黒との接点とは?
住みたい街、大人の街「恵比寿」の変貌 都電が結んだ中目黒との接点とは? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、麦酒(ビール)工場のブランドを命名されて発展した恵比寿駅前の都電だ。
いまとはまるで違う55年前の「永田町」 痛々しいほどの板張り道路だった理由は?
いまとはまるで違う55年前の「永田町」 痛々しいほどの板張り道路だった理由は? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、日本の政治の中枢である永田町・平河町界隈の都電だ。
築地市場83年の歴史に幕 下町に愛された魚河岸の足「都電」と「渡」
築地市場83年の歴史に幕 下町に愛された魚河岸の足「都電」と「渡」 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、10月6日で営業を終え、83年の歴史に幕を閉じる築地中央市場への足となった都電だ。

特集special feature

    再開発が進む「渋谷駅」周辺は55年前も工事ラッシュ!? “巨大迷宮”への系譜
    再開発が進む「渋谷駅」周辺は55年前も工事ラッシュ!? “巨大迷宮”への系譜 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、現在再開発が進む渋谷駅。駅周辺の建設ラッシュのビルには巨大IT企業が入居を予定するなど、街全体が変貌しつつある。そのきっかけともいえる1964年東京五輪関連工事ラッシュの渋谷駅前が、今回の写真だ。
    原発事故で一部不通の常磐線復旧進む 帰還困難区域の双葉駅周辺をルポ
    原発事故で一部不通の常磐線復旧進む 帰還困難区域の双葉駅周辺をルポ 東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故で今も、富岡(福島県富岡町)―浪江(同県浪江町)間の20.8キロが不通となっている常磐線。とりわけ、双葉駅(福島県双葉町)と大熊駅(福島県大熊町)は、駅舎も帰還困難区域となっており、これまで、ほとんど手つかずだった。しかし、今年に入り。双葉駅や大熊駅では駅舎の撤去、線路の補修などがはじまった。普段は立ち入りが制限されている双葉駅とその周辺の状況が9月、AERA dot.の取材で明らかになった。
    東日本大震災で被災した鉄道はいま
    東日本大震災で被災した鉄道はいま 東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故で今も、富岡(福島県富岡町)―浪江(同県浪江町)間の20.8キロが不通となっている常磐線。とりわけ、双葉駅(福島県双葉町)と大熊駅(福島県大熊町)は、駅舎も帰還困難区域となっており、これまで、ほとんど手つかずだった。しかし、今年に入り双葉駅や大熊駅では駅舎の撤去、線路の補修などがはじまった。普段は立ち入りが制限されている双葉駅とその周辺の状況が9月、AERA dot.の取材で明らかになった。フォトギャラリーで紹介する。
    浅草「雷門」に美しく調和する路面電車 かつてそびえた「日本のエッフェル塔」とは?
    浅草「雷門」に美しく調和する路面電車 かつてそびえた「日本のエッフェル塔」とは? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、全国有数の観光地「浅草」のランドマークである「雷門」の都電だ。
    いまや「住みたい街」人気の池袋 50年前に街を支えていたのは都電と百貨店だった!?
    いまや「住みたい街」人気の池袋 50年前に街を支えていたのは都電と百貨店だった!? 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、いまや「住みたい街」として人気上昇中の東京・山手(やまのて)の三大副都心の一つ、池袋駅前の都電だ。
    まもなく移転の「築地市場」 70年前に市場内を走っていた“知られざる都電”とは?
    まもなく移転の「築地市場」 70年前に市場内を走っていた“知られざる都電”とは? 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京の台所ともいえる「築地中央市場」への足として働いた築地の都電だ。

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