
「今週の名言奇言」に関する記事一覧






蜜蜂と遠雷
恩田陸『蜜蜂と遠雷』。選考が間近に迫った直木賞の本命とも噂される評価の高い作品だ。 国際的なピアノコンクールを描いた長編小説だが、クラシック音楽の業界小説ともいえるだろう。 作中には〈クラシック音楽というと、とにかく優雅で高尚で、というイメージだったが、内実は全く異なる〉なんて生々しい話も出てくる。〈ピアノコンクールというのは今や一大産業なのだった。/コンテスタントをはじめ、その関係者や観客がやってきて、ある程度の滞在期間を見こめるコンクールは、町おこしにもなるし、開催地の知名度を上げるチャンスである。結果、世界中に大小さまざまなコンクールが乱立する状態となり、(略)コンクール戦国時代になっているのである〉 もっとも、この小説は業界のどろどろを描いているわけではない。物語の中心となるのは、芳ケ江国際ピアノコンクールに集った4人の若者。最大の読みどころは、タイプが異なる4人が奏でるピアノの音楽性の差異である。 天才少女と呼ばれ10代でCDデビューするも、師でもあった母の死を機に一度は音楽界を引退した20歳の栄伝亜夜。ピアニストへの夢を捨てきれず、28歳にしてコンクールに応募したサラリーマンの高島明石。名門音楽学校に在籍し、演奏もルックスも完璧で「ジュリアード王子」の別名を持つ19歳のマサル・C・レヴィ・アナトール。小説を読んでいるだけなのに、彼らの音の差がリアルに感じられるのは文章の力だろう。 とりわけ強烈な印象を残すのは、音楽教育をほとんど受けたことがない16歳の風間塵である。〈養蜂家の子供なんだって? なんでも、『蜜蜂王子』って呼ばれてるらしいよ〉。並みいる音大卒業生を押しのけて、演奏で観客を魅了し翻弄する蜜蜂王子! テレビドラマか映画になったら『のだめカンタービレ』の上を行くヒット作になる可能性大。出版界と音楽界の希望をしょって本書に登場する曲を集めたCDも発売されるにちがいない。コンクールもだが、賞の結果も楽しみだ。
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夜行
1月19日に選考される芥川賞・直木賞の候補作が発表になった。直木賞候補作は全5作。そのうちの一冊、森見登美彦『夜行』(これが2度目のノミネート)は摩訶不思議な森見ワールドを凝縮したような連作短編集である。 物語はかつて京都の同じ英会話スクールに通っていた5人の男女が10年ぶりに再会するところからはじまる。10年前、彼らは鞍馬の火祭を見物に出かけ、その夜、仲間のひとり(長谷川さんという女性)が失踪したのだった。 仲間たちと会う直前、「私」は長谷川さんに似た女性の姿に導かれるようにしてある画廊に入り、そこで不思議な銅版画を目にした。「夜行」と題された48枚の連作で、作者は岸田道生。7年前に死んだ作家だという。作品には「尾道」「伊勢」「野辺山」「奈良」「会津」「奥飛騨」「松本」「長崎」「青森」「天竜峡」などの題がつき、いずれも闇を背景に目も口もない女性が立つ姿が描かれていた。 そして合流した仲間たちは、それぞれの旅の思い出を語りはじめる。尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡。どれも人が姿を消す不気味な体験で、どれも岸田道生の「夜行」がからんでいた。〈誰もが無事に旅から帰ってきた。/「しかし無事に帰ってこられない可能性もあったわけだ」〉〈旅先でぽっかりと開いた穴に吸いこまれる。その可能性はつねにある。/あの夜の長谷川さんのように──〉 伝統的な百物語の形式をとる怪談集。得意のドタバタ喜劇的側面は封印され、シンとした夜の雰囲気。大人好みのホラーですね。 〈夜行列車の夜行か、あるいは百鬼夜行の夜行かもしれません〉と語る画廊主。夜の列車の暗い車窓を眺めつつ〈夜はどこにでも通じているの〉とつぶやく女子高生。そして岸田の〈世界はつねに夜なんだよ〉という言葉。全部、意味深。絵画(版画)が異世界への入り口になっているという趣向自体は珍しくないとしても、ラスト近くのどんでん返しと、それをまた相対化する視点は読者を宙づりにする。けっこう直木賞好みかと思ったんですけど、どうでしょう。

吾輩も猫である
夏目漱石の没後100年だった2016年。新潮文庫から猫好きの作家8人によるアンソロジーが出た。題して『吾輩も猫である』。 いずれも猫が一人称で語る趣向で、巻頭の赤川次郎「いつか、猫になった日」は〈どうやら、私は「猫」と呼ばれるものであるらしい〉という一言ではじまる。見覚えのある家にもぐりこんだ彼女は、そこで忽然と気がつく。〈私はこの家の主婦だった。もともと猫だったわけじゃない〉 さらに家族の会話からはじめて知る衝撃の事実。〈私が死んだ?それも「自殺」?/全く思い当らない。でも──ともかく死んだことになっているのは確かなようだ。/私は猫に生れ変ったのかしら?そんなことって……〉 恩田陸「惻隠」は〈ワタクシは猫であります。/ええ、確かに。はい、この肉球にかけて〉と書き出される。彼女は石造りの立派な階段がある豪邸のような場所に住んでおり、そこには毎朝8時になると同居人が通ってくる。同居人は何人も入れ替わったが、〈代替わりするにつれて、存在が軽いというか、つまんないというか〉な感じになっていった。しかも最後の同居人がこれまで〈誰も使ったことのないボタン〉を押すに至り……。もしかして彼女はホワイトハウスの猫? 〈妾は、猫で御座います〉と語り出す猫あり(新井素子「妾は、猫で御座います」)。〈あたしは、猫として生まれた〉と語り出す猫あり(村山由佳「猫の神さま」)。バカバカしいといえばバカバカしい企画だけれど、どの短編もどこか悲劇の様相を帯びているのは元ネタのせい? 時代のせい? 雌猫を主人公にした短編が多いこの本で、雄猫が語り手の原田マハ「飛梅」は異色の一編。〈俺は猫だ。名前だって、ちゃんとある〉と語りはじめたこの猫は、やんごとなき公家の生まれで、父はヒカル、母はムラサキ。が、ある事情から猫本専門ネットショップ「吾輩堂」の丁稚となり……。 ニャンとも猫を食った猫だらけの短編集。猫好きな方へのクリスマスプレゼントにどうぞ。


校閲ガール トルネード
日本テレビ系のドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」が好調だ。原作の宮木あや子『校閲ガール』は新刊のときにこの欄で取り上げたので(2014年6月)、先見の明を誇ろうと思ったら、ゲッ、斎藤の批評は辛口じゃんか。しかもドラマは、なによ、おもしろいじゃないの! 校閲者と著者が顔を合わせる機会はないものの、校閲さんの力で毎度危機を逃れている私(今回も作者名を宮本、景凡社を慶凡社と誤記しました。面目ない)。 新刊の『校閲ガール トルネード』はシリーズの第3弾。入社3年目を迎えた河野悦子に校閲部を脱するチャンスがめぐってくる。常勤スタッフの産休で、ウェディング雑誌「Lassy noces」の編集部に異動になったのだ。ファッション誌「Lassy」に憧れて景凡社に入った悦子には姉妹誌でも臨時雇いでも嬉しい。 外注はしない方針の編集部。さっそくドレスのスタイリングを任された悦子だったが、〈なかなか良いわね。センスある、さすが〉と褒められたのも束の間、先輩編集者の容赦ない声が飛んだ。 〈じゃあこのスタイリング全部に七十文字のキャプションつけてみて。花嫁さんに「着たい!」って思わせるような。ちゃんとドレスの特徴も入れてね〉 無理ですとはいえない。が、出てくるのは〈女性らしいフェミニンな〉〈乙女心をくすぐられるガーリーな〉などの下手なフレーズばかり。〈当たり前だ。悦子は今まで様々な文章を読んではきたが、書いてはこなかった。書こうという気もなかった〉。賢い弁明! 1時間かけて書けたテキストはたったの2着分。これではたしかに仕事になりません。一方、作家とモデルを兼業する是永是之こと幸人は小説では芽が出ず、ミラノのブランドの専属モデルにならないかという話が来た。 軽~いノリで進むラブコメ風の小説だけど、天職とは何かという問いも挟んでラストはホロリとさせる。にしても悦子のマシンガントークは原作通りだったのね。1作目ももう一回読んでみます。

ボブ・ディラン解体新書
今年、ノーベル文学賞に輝いたボブ・ディランのお騒がせぶりはどうだろう。授賞が決まったのに連絡がとれない。拒否するのかと思ったら受賞自体は歓迎する。なのに授賞式には出席しない……。 中山康樹『ボブ・ディラン解体新書』は、そんなお騒がせミュージシャンの伝説に迫った本。刊行は2014年だが、このタイミングで増刷になった。解体新書というだけあり、必ずしも絶賛してはいない点がおもしろい。 〈近年のディランが、ロックンロールの原点に戻り、ロックという音楽の歴史化を身をもって体現し、のみならず自らその歴史化に積極的に加担しようとしているように思える〉と著者はいう。70歳を超えたディランは、自伝を出版し、ラジオ番組で昔聞いた曲を紹介し、自身の過去の別の曲に蘇生させて伝説を更新させる。それは老成なのか老化なのか。 ディランの歌詞はしばしば「引用」の名を借りた盗用疑惑が指摘されてきた。日本ではスルーされても英語圏ではそうはいかない。特に2000年代に入ってからは顕著だったが、本人の回答は〈フォークやジャズで引用はあたりまえだ〉〈そんなに簡単に引用で作品がつくれるなら、やってみせてくれよ〉〈ちまちま文句をつけやがって。昔からそうなんだよ〉。 このへんから60年代に遡り、本はディランの軌跡を追う。そこから浮かび上がるのは、天才ミュージシャンというより、他者の流儀を自在に盗み、自分で自分をプロデュースする強気な顔だ。 〈かつてディランは、相手を煙に巻くことが目的ででもあるかのように、上げ底の物語を安売りし、しばしば他者の視点から「ボブ・ディラン」を語り、その作業のくり返しによって神秘性を高め、謎めいた人物像を構築してきた〉。しかし、近年ディランはその作業に疲れたように思える、と。やっぱ面倒くさい人なんだな。 著者は「スイングジャーナル」の編集長を務めた音楽評論家。昨年1月、逝去した。ディランのノーベル賞受賞をどう感じたか、ぜひ聞いてみたかった。

電通マン36人に教わった36通りの「鬼」気くばり
日本を代表する広告代理店・電通のイメージ暴落が著しい。新入社員の自殺が過労死に認定されたことで明るみに出た長時間労働、残業過少申告、隠れブラック企業体質。4代目社長・故吉田秀雄氏が定めたという電通の社是「鬼十則」には「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」なんてのもあった。これでは過労死もするわ。 『電通マン36人に教わった36通りの「鬼」気くばり』の著者は『気まぐれコンセプト』などで知られるホイチョイ・プロダクションズ。『戦略おべっか』を改題した、営業マンの心得集だ。 〈「競合プレゼン」で、博報堂の方がいいアイディアを持って来ても、キャンペーンの扱いは、たいていの場合、電通の方に行ってしまっていた〉。接待、付け届け、裏取引などの「寝業」は電通が勝っていたからだ。ならばその業を学んで出世し、格差社会を勝ち抜こう、というのがコンセプト。 お詫びやお礼をメールで済ますな。前の晩にごちそうになった上司にはサクランボの佐藤錦を持って相手に直接お礼に行け。 仕事はスピードが第一だ。〈電通には「今やれ、すぐやれ、ここでやれ」という金言がある〉。出来より速さを優先させよ。 宴会は得意先にヤル気と結束力を見せつける絶好の機会。だから電通ではどこの営業部でも揃いのハッピを作る。〈スーツ姿でやる芸と、ハッピを着てやる芸では、ヤル気が違うし(略)チームワークのアピールにもなる〉 著者が著者だけに話半分のところもあるとはいえ、あまりに昭和な体質に感心したり呆れたり。 〈ビジネスで最も重要な概念は、「貸し借り」である。決定権のある人間に対し「貸し」を貯めておけば、ここぞという時に預金を引き出し、無理なお願いを通すことができる〉。それが基本のキ。 36の教えをすべて実践したら心身が疲労し、格差社会を勝ち抜く前に自分が潰れそう。社員を追い詰めるのは精神的苦痛。長時間労働だけが問題ではないと知るための、事例集として有効かも。