漫画のようなエピソードも! “無名校”を甲子園に導いたプロ野球選手たち プロで活躍した選手の中には、無名校出身ながら、地方大会で大車輪の働きを見せ、チームを甲子園に導いた“伝説の球児”も何人かいる。 8/8
真似は一流への第一歩! 高校時代にプロ野球選手を“彷彿”させた投手といえば? 2018年夏の甲子園で、大谷翔平(エンゼルス)にそっくりの投球フォームで話題になったのが、浦和学院の背番号11・渡辺勇太朗(現西武)だ。 8/8
「絶対プロに入ると思ったけど…」大学・社会人で“消えた”甲子園のスターたち 高校の時点でドラフト上位候補だったのに、進学や社会人入りを選んだ結果、プロになれなかった甲子園のスターといえば、まず思い出されるのが、1992年夏の甲子園優勝投手、西日本短大付の森尾和貴だ。 8/6
日本人離れの規格外パワー! ドーム球場の枠に“収まらなかった”和製大砲たち 日本で最初の屋根付き球場・東京ドームがオープンしてから30年余り。天井のスピーカーを直撃する認定本塁打第1号を放ったのは、1990年のブライアント(近鉄)だが、その後、外国人顔負けの“ドームの大きさに収まらない”日本人選手も次々に現れた。 8/2
巨人のえげつない「4番集め」の過去…打線が重量すぎるが故の“珍事”も発生 巨人は1990年代半ば以降、他球団の4番打者を次々に引き抜き、12球団でもダントツの超重量打線を形成した。ファンにとってもアンチにとっても、一番思い出深いのは、やはり長嶋茂雄監督時代の大型補強だろう。 8/1
まさかの大不振…夏の甲子園、地方大会で“苦しんだ”未来のプロ野球選手たち 甲子園出場をかけた地方大会は、決勝まで5、6試合前後の短期決戦とあって、後にプロ入りした強打者でも、大不振に陥ることがある。 7/25
「あれ、絶対に別人だ…」甲子園出場への渇望が生んだ、前代未聞の“替え玉事件” 大会初日の開幕試合に先発予定の投手が、直前に行われた開会式の入場行進で、替え玉を立てて参加していなかったという、「そんなのあり!?」の珍事件が発覚したのが、1992年の山梨大会だ。 7/19
観客“ブチギレ”で大混乱も… 夏の甲子園、地方大会で起きた信じがたい「大誤審」 誤審に怒ったスタンドのファンがグラウンドに乱入するという、高校野球にあるまじき騒動が起きたのが、1980年の埼玉大会決勝、川口工vs熊谷商だ。 7/11
最も偉業に近づいたのは? 「夢の4割」に挑んだ一流打者たち 今年で85年目を迎えるNPBだが、“夢の4割打者”は、戦前や1リーグ時代も含めて一人も誕生していない。メジャーでも1941年のテッド・ウィリアムズを最後に80年近く出ていない。時代の進歩で、各打者の能力が向上した結果、傑出した好打者の打率と平均打率との差が小さくなったことが、原因ではないかともいわれている。 7/7
「巨人ってヒゲ禁止じゃないの?」 名門のご法度を“例外的”に容認された男たち 「常に紳士たれ」がモットーの巨人軍では、「社会人の模範にならなければいけない」という理由から、選手の長髪、茶髪、ヒゲがご法度とされている。 7/4