ところが、選挙の勝敗を分けたのは、メディアの視線外にいる地方部の白人層だった。広がる経済格差は大都市部に富を偏在させ、富裕層と移民・ヒスパニック系住民の狭間で苦境にあえぐ貧しい中間層の不満は想像以上に強かった。そういう現状を過小評価し、旧式化した物差しで有権者の全体像を推し量ろうとした点に大きな落とし穴があった。有力メディアは「トランプ候補の資質に問題あり」と強調し「賢明な選択」を世論に訴えたが、既存メディアの報道に懐疑的な階層の胸には、所詮深く響かなかった。

 また、情勢を調査、分析する伝統的な手法の精度についても限界を露呈した。ギャラップに代表されるように、世論調査の技法においては最先端を走る米国だが、「隠れトランプ派」と称され、調査で本音を明かそうとしない有権者層の真意に迫ることはできなかった。表面上の数字だけが報じられ、それが「クリントン候補の優位」を強く印象付ける結果に繋がった。

●変わらぬ日本の米国報道「親ガメこけたら、皆こけた」の図式

 翻って日本の新聞やテレビの報道はどうだったのか。論じるまでもない。米メディアの誤謬を踏襲したのは明白だ。なぜなら「親ガメこけたら、皆こけた」状態にあるからである。大統領選に限らず日本の米国報道は、米メディアを主な情報源にしている。取材、情報収集の多くを米メディアに依存する仕組みと構図は昔から何も変わっていない。

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