「翻訳アプリがあれば、英語を勉強しなくてもいいのでは」 自動翻訳の専門家はどう答える?
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自動翻訳の精度が閾値を超え、さらに高精度化に天井が見えない現在。それでも、英語は中学校で勉強すべきものであり続けるのだろうか。小学校で教える意義は何か、大学では何のために語学を教えるのか。自動翻訳が進化を続ける社会で外国語を学ぶ意義を、自動翻訳研究の第一人者である隅田英一郎氏がその必要性とともに考える。『AI翻訳革命』(朝日新聞出版)から一部抜粋して紹介する。
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英語が必要な日本人は限定的
インターネット上に無料でしかも簡単に使える翻訳サービス(グーグル翻訳やDeepLなど)が提供されている世の中で、大人が中学生から頻繁に聞かれる質問である「翻訳アプリがあるから英語を勉強しなくてもいいのでは?」にどのように返事すべきか? 「英語は学習指導要領で必修となっているから勉強しなくてはならない」だと正面から答えたことにならない。文部科学省の施策GIGAスクール構想で、既に小中学校の児童・生徒の手元に端末が渡りインターネット環境の整備を含めて利用が可能となっているので、この質問は今後より頻繁に深刻になる。
英語を勉強する目的が「英語でコミュニケーションができること」ならば、自動翻訳を道具として使えばいいのではないだろうか? 自動翻訳を道具として使って「英語でコミュニケーションできるなら目的が達成できる」ので英語を勉強する必要はないことになる。
そもそも、「英語でコミュニケーションができる」ことはどれだけ必要なことなのだろうか? 英語は現在世界語として世界を席巻していて、多くの国において良い仕事に就くために英語ができなくてはいけないとされ、教育での英語重視と英会話学校の盛況が続いている。日本人の大多数もこの雰囲気に流されているのではないだろうか。前節で見たように、英語学習に必要な時間は2200時間もあり、多くの日本人が時間不足で終わり、結果、「英語でコミュニケーションができない」。時間とお金をかけたのに「英語でコミュニケーションができるという結果が伴わない」ことは日本社会にとって大きな損失だろう。
実のところ、「英語でコミュニケーションができる」必要がある日本人は限定的だ。マイクロソフト日本法人の元社長であり、ビジネスで英語を使ってきた成毛眞による『日本人の9割に英語はいらない』というタイトルの本がある。詳細な根拠は同書に譲るとしてこの9割という数字を借用し若干拡張して、日本人全体を三つの集合に分けてみよう。
(1)一生にわたって英語を使う機会がほぼゼロである日本人の集合が人口の90%を占める。
(2)必要に迫られて仕事で英語を使うことが時々ある日本人の集合は人口の9%になる。
(3)英語が仕事の中心にあり、常時英語なしではやっていけない日本人の集合は人口のたった1%になる(※注1)。
この三つの集合で英語への対応はどうするのが賢明だろう。
(1)海外旅行などで稀に英語の必要があったとしても、他の外国語対応も含め自動翻訳で済ませばよい。2200時間の英語の勉強は不要になる。
(2)多くの日本人は精度・速度で自動翻訳に劣後するので自動翻訳で効率化すればよい。現在の自動翻訳を使いこなすには、中学・高校で文法や語彙の基礎力をつける1000時間はあったほうがいいが、自己研鑽の1200時間はなくてもよい。
(3)高い効率が要請され自動翻訳に頼ると十分な精度・速度が必ずしも確保できないことも想定される(※注2)ので、2200時間かけて英語力を磨くことが期待される。英語のプロならこれは理にかなっている。
自動翻訳を使うことにすれば、(1)と(2)からなる99%の日本人について、英語学習あるいは英語運用に使う時間は不要または最小化される。英語学習に使わず余った時間は他に使える。人口が1億として概算すると、他に使える時間の総和は2088億時間(1億×90%×2200時間+1億×9%×1200時間)と膨大である。
英語の社内公用語化は廃れる
企業活動のグローバル展開のために英語を社内公用語にした企業がたくさんあった。英語と日本語の距離が遠いのでマスターするのに相当な時間がかかることを考えるとコストは膨大であったはずである。会社は社員の英語学習のために時間と予算を割かなくてはいけなかった。
日本人のみの会議まで英語で行うのは非現実的だ。一方で日本人のみの会議がたくさんあるようだと外国人社員との分断は固定化しグローバル化は失敗するだろう。無駄なことに時間を割くのが嫌な有能な社員は離職するかもしれない。デメリットを上回るメリットがあったのであろうか? 少なくとも一部の社員のTOEICスコアは上がったであろうが、企業活動のグローバル展開は想定通り進んだのだろうか? これらの試みが成功したという話は耳にしない。
グローバル展開に英語は不要ということはない。鍵は「社員の」英語力を高めることにあったのだろうか? 英語に関しては今や高精度化した自動翻訳を活用するように舵を切ったほうがよいのではないだろうか? 英語を取り扱う機会があって、その時間が問題であれば、自動翻訳を導入し、その使いこなす方法を教育するのがよい。第1章で紹介した商社社員の事例は取り入れるべき成功事例だ。自動翻訳を使うときのコツを教え、誤訳を見逃さないための手段やこれに必要な範囲の語学力をつけるのに、時間も費用もさしてかからない。
外国人を社員に迎えたいのであれば、社内の手続きや書類を英語化するのが第一歩であろう。このコストは大してかからない。足りない部分は自動翻訳とそのリテラシー教育でカバーできる。
○隅田英一郎 (すみた・えいいちろう)/国立研究開発法人情報通信研究機構フェロー。一般社団法人アジア太平洋機械翻訳協会会長
注1)ここでは(1)の残りの10%のうち9割も常時英語漬けということはなく英語のニーズが相対的に希薄な割合を同じ9割と仮定して(2)を9%とした。
注2)コンピューターを媒介したらまどろっこしいと感じることもありうる。快適なコミュニケーションのためには、自らの語学力を改善することに大いに意味がある。そのときにかけるコストの問題である。語学に向いている人はコストが小さい、そうでない人はコストが大きい。筆者は快適性とコストのバランスを個々が判断することに異論はない。
dot.
2022/11/16 06:00