かつて佐々木倫子のマンガ『動物のお医者さん』が人気を博し、獣医学部の志望者が急増したことがあった。片川優子『ただいまラボ』の舞台も大学の獣医学科。学園ドラマ風の軽~いノリの青春小説ではあるのだが、他の小説とややちがうのはこんな場面があることだ。
〈俺たちはただひたすら3時間、袋に詰まった冷凍のシカの耳、通称シカミミを切り刻み続けた。血に染まるゴム手袋、マスクをしても分かる異臭〉。目的はシカのDNAを取り出して系統分類をすること。〈毎年、春になって繁殖して数が増えると、シカを狩るらしいんだけど、それを研究のために頼んで毎年送ってもらってるってわけ〉。シカミミは彼らにとって春の風物詩なのだ。
 合コンも彼らにとっては鬼門である。〈獣医さんの学校って、どんなこと習うんですか?〉といわれても〈学校で習うのは基本的には牛馬豚犬の4種類なんだ〉。ぎゅうばとんけん? 〈獣医学はそもそも人に使役されている動物のための学問なんだよ〉。さらに続けて〈俺はいま脂肪前駆細胞使って実験してて。前駆細胞が脂肪細胞に分化するときのシグナル伝達をRNAレベルで見てるんだけど〉。相手はもはや〈へえー……〉しかいわず。
 獣医学が学べる大学は全国にたった16校。うち私立は5校。入学試験の倍率は20倍近い。そのうえ6年間の学生生活の特に後半は実習あり、卒論あり、国家試験ありで大忙し。デートの時間もままならない。
〈文系の奴らの研究ってのは大体さ、過去の文献ひっくり返して昔の偉い人が言ってた言葉をコピペでつないでるだけだろ? そんなんは研究じゃねえと俺は思うよ〉。仏文科の彼女にそういった獣医学科4年の太一は冷たく返される。〈そっか。じゃあもう、文系のわたしとは全然違うんだね〉。こうして彼は翻訳家志望の彼女にふられるのだが……。
 夢と現実の差があるのはどんなジャンルも同じ。ま、獣医学科志望の高校生は必読でしょう。

週刊朝日 2015年5月8―15日合併号