撮影:岡野昭一
撮影:岡野昭一

 最初は岸から撮影していたが、川の中に入って写し始めると、そこにはまったくの別の世界が広がっていて、衝撃を受けた。

「もう、死骸がゴロゴロ。メスはほかの卵はどうでもいいって感じでヒレで蹴散らかし、卵が流れてくる。生と死がごちゃ混ぜになっていた。もう生々しすぎて。それが身近にあるベニザケの切り身やコンビニのおにぎりの具の原点なんだ、と感じたとき、この魚がどうやって命をつないでいるのか、知るべきだな、と思った。そこから撮影にのめり込んでいったんです」

■自転車で通い、チャンスをじっと待つ

 取材拠点の集落、スクィラックスまではバンクーバーから路線バスに揺れられて約6時間。

「スクィラックスにはユースホステルが1軒あって、そこで借りた自転車の荷台に機材を積んで、5キロ先のアダムス川に通いました」

 秋から冬まで、約3カ月の取材中は自炊をして暮らした。

「取材に入る前に、バンクーバーで日用品や食料を買い出しをする。米30キロ、ミソ、だしの素、干し柿とか。食事はさっさと食べられるようにほぼ、炊き込みご飯」

 雄大な自然を写した作品とは正反対に、撮影は極めて地味な作業の繰り返しという。

「写真をやっていて、つくづく思うんですけれど、カッコいい仕事ではぜんぜんないですね。ほぼ、待つのが仕事ですから」

 例えば、「産卵シーンの撮影。朝から川底を延々と掘り続けるメスに張りつく。日が暮れるので、しょうがないから引き上げて、朝いちで行ったらもう産んでいない、とか」。

「いつ来るかわからないチャンスをずっと待つ。もし、それを見逃してしまったら、また何年も待たなければならない。だから、集中して、ほかのことは何も考えず、ひたすら待つ」

撮影:岡野昭一
撮影:岡野昭一

■「まあ、まともな生活ではないですね」

 撮影が終わり、帰国すると、働き口を探した。

「その繰り返し。まあ、まともな生活ではないですね。3カ月間も『撮影に行ってきます』という人間を雇ってくれる会社なんてどこにもないですから」

 昨年、岡野さんの人生を大きく変えた「釣りキチ三平」の作者、矢口高雄さんが亡くなった。

 岡野さんはご遺族に手紙を書くと、矢口さんの次女野呂かおるさんから三平のイラスト入りのはがきが届いた。そこにはこんな言葉がつづられていた。

<「釣りキチ三平」がきっかけでカメラマンの道に進んだこと、とてもうれしいです>

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】岡野昭一写真展「紅鮭・生命の詩」
オリンパスギャラリー東京 9月2日~9月13日