「父親からのLINEで『酸素を吸っていると一時的に楽になるが、また元に戻る』など苦しそうな様子がうかがえました。病院に聞くと『病状は厳しい。だが、まだ入院できただけでもいい方です。自宅やホテル療養で、入院できず、救急車がやってきて酸素だけ吸って終わりという方もたくさんいる』と惨状を聞かされました」
5月4日頃に父親の容態はより深刻化。病院から「重症病棟のある設備が整った病院に転院できるように、手配をはじめました」と須田府議に連絡があった。調整の末、大阪市内の別の病院にようやく転院できたのは、5日後だった。
しかし、肺へのダメージは大きく、なかなか回復しない。一方で、同じ時期に須田府議の母親も八尾市内の病院に入院することが決まったため、対応に追われた。
「父親はいろいろな手当て、治療をしていただいたようでした。こちらから、エクモはどうかと医師に提案した。しかし、『肺の状態からエクモで回復の見込みない。エクモは台数も限られており、回復の可能性がある患者に使いたい』と命の選別のような宣告がありました。いかに大阪のコロナ対応がひどかったのか痛感させられました。最後は100%の酸素を吸っても機能しないほど、肺の働きが落ち込んでしまった。5月19日に息を引き取りました。父はお骨となり、自宅に帰ってきました」
須田府議の両親がコロナ陽性、入院となった時期は大阪の医療崩壊がピークだった時期と重なる。同時期には大阪維新の会の中谷恭典府議とその妻も新型コロナウイルスに感染し、中谷府議はすぐに入院したと発表された。「維新へのひいきではないか」などと疑問の声が府議会でも上がった。
「中谷先生はコロナ陽性とわかった時点で医師の所見があったとも聞いています。うちの両親は耳鼻咽喉科で陽性が判明しただけだった。入院調整するフォローアップセンターに中谷先生の場合、医師の所見まで届く。うちの両親の場合、陽性者という情報だけ。この差は何なのか。与党の維新の先生ということで何らかの忖度があったのか。本当に医師や保健所の判断なのか。そこはブラックボックスです。ただ、そうした理由で命の選別があってはいけないと思う」