(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
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家臣の力ベスト3

政治に関心のない家綱なれど、有能な重臣に支えられた

家綱は江戸幕府にとっては初めての幼君だった。このため“知恵伊豆”松平信綱や叔父で会津藩主の保科正之、さらに老中らの集団指導体制で政治が運営された。成人しても家綱は大奥に入り浸りで政治に関与しなかったが、優れた家臣団だったので政権は安定した。家治は有能な人物だったが、父・家重の遺言もあって田沼意次に政治を一任。田沼は画期的な重商主義政策を展開した。家宣は、師の新井白石と側用人の間部詮房に政務を委ね、「正徳の治」と呼ばれる善政が敷かれた。

人望・カリスマ性ベスト3

紀州藩主として、将軍として、周囲の声望を集めた吉宗

御三家から宗家を継いだ初の将軍だった吉宗。すでに紀伊藩主として善政を敷いて声望があり、享保の改革を称する斬新な政策と長期的な倹約で見事幕府の財政を再建。「中興の英主」と幕臣たちから尊崇を受けた。家康は、人質の身から天下人に成り上がり、強大な軍事政権を創設、死後は自己を神格化(東照大権現)し、崇拝の対象とさせた。若くして死去した家茂だが、妻の和宮や老臣への心遣いの逸話が残り、勝海舟からも「英邁な君主」と尊敬された。

(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
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知性ワースト3

鵞鳥を追い回して喜ぶなど暗愚な逸話に事欠かなかった家定。家臣が言うことにはみな「左様せい」と答えたという無能ぶりをみせた家綱。側近の大岡忠光以外、話す言葉が家臣に理解されず酒と猿楽に耽溺した家重。

政治力ワースト3

大奥に入り浸りで政治に全く関与しなかった家綱。有能なのに、あえて田沼意次に政務を一任し、己の力を封じてしまった家治。家斉は庶民の苦しみを考えず、貨幣改鋳を繰り返し、その差益で贅沢三昧に溺れた。

(週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
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外交力ワースト3

ハリスと会見したものの、列強諸国に不平等条約を押しつけられた家定。無謀な異国船打払令を発した外交音痴の家慶。すでに開国しているのに朝廷の要求に屈し、攘夷決行を命じた家茂。

家臣の力ワースト3

家斉の家臣たちは将軍の放漫財政を止めず、半世紀以上も政権を握らせた。家康は、裏切る不良家臣が多く苦労した。幕末の政局が乱れる中、平岡円四郎、原市之進ら慶喜の能臣は次々に暗殺された。

人望・カリスマ性ワースト3

政治に関与せず、将軍など宮様でよいと思わせた人望のない家綱。柳沢吉保など一部の家臣を可愛がり幕臣から嫌われた綱吉。家重は綱吉と同じく側近を可愛がり、大名に厳罰主義で臨んだ。

※週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から

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河合敦

河合敦

●河合 敦(かわい・あつし) 1965年、東京都生まれ。歴史作家。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。テレビ番組「歴史探偵」(NHK総合)他に出演。著書に『徳川15代将軍 解体新書』『お札に登場した偉人たち21人』『江戸500藩全解剖』『徳川家康と9つの危機』『日本史の裏側』など多数。

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