断崖絶壁のなかにある田本駅(提供/『旅と鉄道』編集部)
断崖絶壁のなかにある田本駅(提供/『旅と鉄道』編集部)

 飯田線の三河川合~天竜峡間では、さらに伊那小沢(いなこざわ・79位)、相月(あいづき・96位)の2駅が「秘境駅ランキング」100位以内に含まれている。この区間に秘境駅が集中していることには一般的な過疎化に加え、特有ないくつかの理由がある。

 いまの飯田線は、豊橋側から延びていた豊川鉄道・鳳来寺(ほうらいじ)鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道の私鉄4路線が、1943(昭和18)年に合わせて国有化された路線である。三河川合~天竜峡間66.9キロメートル(現在は新線切り替えにより71.0キロメートル)は、三信鉄道が37(昭和12)年までに建設した区間にあたる。会社名のとおり三河(愛知県東部)と信濃(長野県)の直結を目的に設立された会社で、当時発行した沿線案内には「中部日本縦貫鉄道」をうたっていた。しかし、険しい地形からルート選定さえ難しく、トンネル171カ所(全区間の52%)・橋りょう97カ所を建設し、「三信地下鉄道」と呼ばれたほどの難工事。集落の近くに駅を設けて地元客の利便を図ろうという姿勢はそもそも薄く、現実的にも不可能だった。

 それでも単線区間での列車の交換や保線基地として、なにもないところでも駅は設けざるを得ない。たとえば小和田はもともと駅直近に集落はなく、職員の宿舎が設けられただけだった。利用客の主体は対岸の愛知県富山(とみやま=現・豊根)村佐太(さた)集落と、やや離れた高瀬橋近くの遠州高瀬・信州高瀬集落の人たちだったという。いくつかの飯田線の駅は開業時から“秘境駅となるべき運命”を背負っていたのだ。

小和田駅近くには、朽ち果てたミゼットが横たわる(提供/『旅と鉄道』編集部)
小和田駅近くには、朽ち果てたミゼットが横たわる(提供/『旅と鉄道』編集部)

 さらに飯田線の場合、並行する天竜川に平岡(堤高62.5m、中部電力)・佐久間(155.5m、電源開発)の両巨大ダムが建設されたことも秘境駅化の大きな要因となった。駅近くにあった集落が、水没したり線路を付け替えたりを余儀なくされた。51(昭和26)年に完成した平岡ダムでは平岡~為栗間の線路が移設され、途中の遠山口駅が廃止。56(昭和31)年完成の佐久間ダムでは旧富山村などで計296世帯が移転し、小和田駅の最寄りだった佐太集落も水没した。さらに旧線にあった豊根口・天龍山室(てんりゅうやまむろ)・白神(しらなみ)の3駅がダム湖に沈み、中部天竜~大嵐(おおぞれ)間は55(昭和30)年、水窪経由の新線に付け替えられている。ランキング96位の相月は唯一、新線区間にある。

 飯田線の場合、あまりの地形の険しさゆえに線路のそばに並行する主要道が建設されなかったことも影響した。飯田線と同じく東三河地域の最北部と信州最南部を結ぶ役割を担う、いまの長野県道・愛知県道・静岡県道1号飯田富山佐久間線は、天竜川の対岸に建設された。この道もファンの間では“険道”と称されるほどの狭隘(きょうあい)区間と急カーブ・急勾配が続く悪路である。ダム湖ゆえに川幅が広く、建設費に見合う利用も見込めなかったこともあり、県道1号から飯田線各駅へ渡る橋は設けられなかった。主要道からのアクセスルートがないことも、飯田線に秘境駅が多くなった一因となっている。(文/武田元秀)

※ドローンによる撮影には特別な許可を得ています