「アサヒカメラ」2018年11月号から(写真/須田一政)
「アサヒカメラ」2018年11月号から(写真/須田一政)

 あまりにも日常的にカメラを向けられていると、「私も娘も、『構える』みたいな、ところがなくなってしまって、ほとんど(カメラを)無視状態」に。

 その結果、「ちょっとこれ、発表するの、まずいんじゃない、という娘のだらしない姿を。悲惨、っていうか、嫁のもらい手がないんじゃない、みたいな。でも、娘本人に聞くと、『作品でしょ』『リアルでいい。大丈夫です。作品に使っていただいて光栄です』みたいな感じで、ぜんぜん平気で」。

 さすがは、この父の娘である。動じることがない。

■家族写真を撮っているつもりはないみたい

 しかし、娘が父に抗議したこともあったという。

「アサヒカメラ」2018年11月号から(写真/須田一政)
「アサヒカメラ」2018年11月号から(写真/須田一政)

一政:娘の小学校がすぐそばにあって、車の中から娘を撮っていたら、学校がなんか、朝礼のときにね……。

よし子:黒い車の黒い服を着た中年の男の人が子どもたちを撮ったと。みなさん気をつけてください、ヘンタイが出たから、って。それを聞いた娘が「えっ、絶対にお父さんだ」「やめてちょうだい」って。そういうことは何回かありましたね。娘の運動会に行っても、娘を撮らないんですよ。そのときだと堂々と学校に入れるじゃないですか。運動会そのものの、面白い光景を撮るので、だんだんと警備員が周りをガードして。そんな感じですね。ずっとそうです。本人は家族写真を撮っているつもりはないみたいで……。

「アサヒカメラ」2018年11月号から(写真/須田一政)
「アサヒカメラ」2018年11月号から(写真/須田一政)

 今回掲載したのは1993年に発表した「家族日記」の一部で、画面サイズの小さなカメラ、ミノックスで撮影している。

 モノクロの粒子の浮き出た写真は、先に発表した「犬の鼻」(91年、中判カメラとカラーポジフィルムで撮影)よりもずっと古く見えるのが面白い。

「当時、須田は、『シャッターを切ったら、もう、すごい勢いで過去にいっちゃう』『すごく昔の写真に見える』って、しょっちゅう言ってましたね。それがとても気に入って、2年間(91、92年)ミノックスにはまっていたんです。そのころ、私も『写ルンです』とかで家族を撮っていたんですが、主人が日常的に写真を撮っていたので、どこかに家族が写っている。だから、だんだん自分は写す気にならなくなるというか、もういいや、と(笑)。結局、発表すると作品になるし、落としたものは、ちょっと時をへてから家族写真として、『あんた、持っていていいよ』って、言う。そんな感じですね」

 昨年、同居していたよし子さんの母親が亡くなった。

「今回はちゃんと断りがあって、『撮ってもいいか』って聞かれたので、『いいよ』って。しきりに撮影していたので、また作品にするつもりかもしれません」

 まったく、ブレがない。

須田一政(すだ・いっせい)/1940年、東京都生まれ。東洋大学法学部中退。62年、東京綜合写真専門学校卒。97年、土門拳賞受賞。1993~95年はアサヒカメラの月例写真コンテスト(モノクロ部門)の審査員を務めた。主な写真集に『風姿花伝』『わが東京100』『人間の記憶』『民謡山河』『角の煙草屋までの旅』。
須田一政(すだ・いっせい)/1940年、東京都生まれ。東洋大学法学部中退。62年、東京綜合写真専門学校卒。97年、土門拳賞受賞。1993~95年はアサヒカメラの月例写真コンテスト(モノクロ部門)の審査員を務めた。主な写真集に『風姿花伝』『わが東京100』『人間の記憶』『民謡山河』『角の煙草屋までの旅』。

◯須田一政/すだ・いっせい
1940年、東京都生まれ。東洋大学法学部中退。62年、東京綜合写真専門学校卒。97年、土門拳賞受賞。1993~95年はアサヒカメラの月例写真コンテスト(モノクロ部門)の審査員を務めた。主な写真集に『風姿花伝』『わが東京100』『人間の記憶』『民謡山河』『角の煙草屋までの旅』。

(文/米倉昭仁・編集部)

※アサヒカメラ2018年11月号から抜粋