東大生からも「勉学の妨げ」と嫌われた? 本郷を走った都電が“気の毒”なワケ 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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東大生からも「勉学の妨げ」と嫌われた? 本郷を走った都電が“気の毒”なワケ

連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

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諸河久dot.#アサヒカメラ#歴史#鉄道
(撮影/諸河久:1964年3月29日)

(撮影/諸河久:1964年3月29日)

 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は東京大学のお膝元でもある本郷界隈。なかでも昔から交通量が多い本郷三丁目交差点付近だ。

【50年後の本郷三丁目はどれだけ変わった!? 現在の写真はこちら】

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 写真の左手角には「本郷も かねやすまでは江戸の内(うち)」と古川柳にうたわれ、江戸時代から続く老舗の小間物商「かねやす」がある。本郷を東西に走る春日通りの北側は江戸ご府内ではなかったことがわかる。

 都電の右手背景の「芙蓉堂薬局」は、隣接する交番とともに明治の路面電車開業期に制作された石版画にも描かれている。芙蓉堂・先代店主の徳重勇雄氏のお話では、1913年に前店主から屋号ともども店舗を譲り受けたそうだ。現在も徳重信之氏が後継されて盛業中であり、創業100年を越す老舗だ。

 お隣の交番は「本富士警察署本郷交番」で、都電が健在の時代には「ヒゲのお巡りさん」として鳴らした末松巡査が勤務する著名な交番として知られていた。

 この春日通りを走る39系統は早稲田を発して、江戸川橋~大曲~伝通院前~春日町~本郷三丁目~上野広小路~厩橋に至る7193mの路線だ。伝通院前から合流した16系統(大塚駅前~錦糸町駅前)も、この切通(きりとおし)線を併走した。
昭和39年4月の路線図。本郷三丁目付近(資料提供/東京都交通局)

昭和39年4月の路線図。本郷三丁目付近(資料提供/東京都交通局)

 手前に軌道敷が見える本郷通りには19系統(王子駅前~通三丁目)が行き交っていた。東京市街鉄道が本郷界隈に路線を開業したのは1904年で、須田町方面から神田明神の前を通り、この本郷三丁目の交差点を右折して上野広小路に至るルートだった。同時期に隆盛した「本郷座」への観客の足として重用されたようだ。

 本郷線が東京帝国大学(現・東京大学)の前を通り、駒込方に延伸したのは大正期に入った1913年のことだった。「電車の騒音が勉学の妨げになる」との妄言により帝大方面への延伸が遅れた、という風説が残っている。
現在の本郷三丁目交差点(撮影/井上和典・AERAdot.編集部)

現在の本郷三丁目交差点(撮影/井上和典・AERAdot.編集部)

「芙蓉堂薬局」の左側一帯の旧町名は「真砂町」だった。1965年に本郷四丁目に改名されたが、地元の町会名には今も「真砂町」旧町名が生きている。江戸時代、この界隈は信州上田藩主・松平伊賀守(いがのかみ)や上州高崎藩主・松平右京亮(うきょうのすけ)の武家屋敷であった。維新後にその跡地が「浜の真砂がかぎりないように」と、町の繁栄を願って「真砂町」と命名された。

 泉鏡花の長編小説「婦系図(おんなけいず)」には、主人公・早瀬主税の恩師酒井先生が「真砂町の先生」として登場する。また、夏目漱石の朝日新聞連載小説「三四郎」では、主人公の憧れの女性である里見美禰子の住居が本郷区真砂町であったなど、明治の文豪たちはたびたび真砂町を舞台にした小説を上梓している。

 当時の写真は本郷通りの本郷三丁目停留所付近から、ちょうど対角線にあたる春日通り方向を狙った。狭隘(きょうあい)な春日通りは自動車の群れで渋滞。そもそも軌道敷内に自動車が乗り入れできるようになったのは1959年(昭和34年)。高度経済成長期に入り、モータリゼーションが急速に普及すると、都電は渋滞の温床となり斜陽への道を辿っていく。お隣の真砂町からノロノロとやってきた39系統の都電に「頑張れよ!」とエールを送りたくなった。 

■撮影:1964年3月29日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数。9月には軽便鉄道に特化した作品展「軽便風土記」をJCIIフォトサロン(東京都千代田区)

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数

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