その高市氏。4月30日の会では、

「閣僚の一員なので岸田首相をお支えします」

 と言いながらも、

「(次期総裁選は)既に推薦人20人は確保しております」

 と語り、会場では大きな拍手が起きたという。

安倍派も100人いるなら前回と同様に20人を高市氏の推薦人にまわしてもいいと思う。高市氏は安倍元首相が推したし、国民的な人気も高い。派閥が割れずに済むなら安倍派で一定程度、高市氏を推すのがいい。内心そう思っている人は少なくないはず」(前出・安倍派の衆院議員)

 最大派閥が割れないようにするための選択肢の一つとして見るようだ。

 自民党の元職員で党本部の政務調査会を長く担当し、岸田派(宏池会)の事務局も務めた経験がある田村重信氏は、

「安倍派がトップを決められないのは、派閥の歴史も大きい」

 と話す。

 過去にさかのぼると、清和会には分裂の歴史がつきまとう。

 1991年に死去した安倍氏の父・晋太郎氏の後継をめぐり、三塚博、加藤六月両氏が激しく争い、「三六戦争」とも呼ばれた。最終的に三塚氏に決まると、その後加藤氏らが会を出た。2009年には森氏と中川秀直氏が対立し、中川氏が離れていった。

「三塚氏と加藤氏の激しい争いを知っているベテランもまだ安倍派にはいます。森氏の力があれば、後継指名したら決まるでしょうけど、そこまでできないのが正直なところ。安倍元首相の存在も大きかったということです。派閥の最大の目標は、会長を首相に押し上げること。最大派閥のパーティーで、新会長があいさつできないというのはいかがなものかと感じますが、しばらくは、とりあえずの『会長』が続くのかもしれません」(田村氏)

(AERA dot.編集部 今西憲之)