写真=小黒冴夏
写真=小黒冴夏

 その母親の元で壱成は子ども時代、転居を繰り返し、社会の規範にとらわれない“ボヘミアンな生活”を送っていたという。小学3年の時、鹿児島県屋久島町に引っ越す。壱成が昨年12月に出版した半生記「未中年」では屋久島で過ごした情景が鮮やかに描かれている。

「屋久島では山奥の電気も水道もない所で、自給自足の生活をしていました。寒いとか暑いとかはありましたが、自然の綺麗な場所でした。釣りに行くと、南の島にしかいないようなカラフルな魚が釣れてね。海に素潜りして、貝とか伊勢海老を獲った。そして、伊勢海老鍋を作って食べたりしまして、うまかったですね。小学3年から6年くらいまで、屋久島で暮らしていました」

 屋久島体験は壱成の中で、大切な思い出になっている。

 その後、壱成は17歳で芸能界デビュー。最初の10年間の壱成の俳優人生は順風満帆だった。その背後には父・石田純一の芸能界での力もある。さらに壱成には芸能界の母ともいえる、 義理の母の女優・松原千明さん(享年64)がいた。千明さんは88年、石田純一と結婚。90年には後に女優でモデルとなるすみれを産んだ。

 壱成が千明さんに会ったのは、デビュー前のことだ。

「父の家で会ったんですが、その頃、既に千明さんは女優として成功していました。だから、最初に会った時は緊張しましたね。『芝居というのは鏡に近いところもあるから、いつもしっかり自分の内面を映せるようにしておいて』と言っていましたね。精神面でいろんなことを教わりました。家の中は父と千明さんの部屋があって、私はリビングで寝ていた記憶があります」

 壱成が思い出すのは、千明さんによく食事に連れていってもらったこと。

「私は俳優の仕事を始めてまもなくの頃でした。私は役作りに自信がなかった。そういう時、千明さんが麻布のふぐ料理店へ、私とすみれを連れていって、励ましてくれました。刺身や鍋も食べられるコースで、父も遅れてやってきたと思います。他の食事処にも『栄養つけなさい』と連れていってくれましたね。千明さんにとって、私は息子のような、弟のような存在だったように思います」

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ギャラをめぐってもめたときに