写真=小黒冴夏
写真=小黒冴夏

 17歳でデビューしてから10年間のいしだ壱成の俳優人生は順風満帆だった。父は俳優の石田純一。生まれながらにして芸能ファミリーの一員で、俳優になるのが規定路線だったかというと、実はそうではない。一風変わった生い立ちと、芸能界転落の真相を聞いた。

【写真】やはり俳優……隠しきれないオーラは本物だった

>>【前編:いしだ壱成「女性は神様みたいな存在ですね」 3度の結婚と離婚の顛末を包み隠さず明かす理由】から続く

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 父は俳優の石田純一、母は市民運動家の星川まりさん。両親のなれそめについて、壱成はこう話す。

「聞いた話だと、父が湘南の海でナンパしたらしいです。母に声をかけてということだったみたいですね。当時、父は早稲田大学の学生で、母は高校を出たばかり。2人にビビッとくるものがあったんでしょうね。出会ってすぐに結婚し、母は19歳で私を産みました」

 壱成が3歳の時、両親は離婚。それからは、母親はシングルマザーとして、働きながら壱成を育てた。

 母親は現在、東京に住んでいるが壱成とは離れた所で暮らしている。

「私が俳優として売れてからも、ずっと離れたところから見ていてくれていた……。母は芸能界には興味がなく、私の舞台とかにもめったに見に来ないですね。陰で応援してくれている感じです。電話やメールでちょこちょこ、コミュニケーションはあります。『体に気をつけてね』とか、お母さんらしいことを言ってくれます」

 母親はどういう人かについて、壱成はこう話す。

「母は私が生まれる前にアメリカでヒッピーカルチャーを体験し、自然を愛する人なんです。自然食にこだわっていて、肉はそんなに食べなかったですね。母の兄、つまり私の伯父にあたる星川淳は地球環境を守る活動で知られているグリーンピースジャパンの事務局長を務めたこともある翻訳家です」

 母親の姿勢は、一貫しているという。

「母は環境問題についてはポリシーを持っていて、ずっと頑張っていますね。だから電話しても、『今、ドイツのほうとZoomの会議をしているの』とか言われて忙しそうにしています」

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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