鹿児島・明和中時代に200メートル走で県記録をマークした韋駄天は、日本ハム3年目の91年、大洋時代にスーパーカートリオを売りにした近藤貞雄監督に抜擢され、16盗塁を記録。当時は足を生かすため、スイッチヒッターに挑戦していたが、打力不足を克服できず、悩んだ末、93年から右打ち一本に戻った。

 これが吉と出て、同年は速球にも力負けしなくなり、8月13日のロッテ戦で5打数4安打2打点の大当たり。翌14日のロッテ戦でも、3対1の6回2死満塁、執念のヘッドスライディングで内野安打をかち取り、貴重な追加点をもたらした。

 さらに守備でも再三にわたる好プレーで、「川名の守備が大きかった」と大沢啓二監督を何度も唸らせ、盗塁も自己最多タイの16。西武とV争いを演じるチームに攻守走で貢献した。

 だが、その後は井出竜也、上田佳範らにポジションを奪われ、98年の阪神を最後に引退。活躍期間こそ短かったが、12球団対抗歌合戦で自慢ののどを披露するなど、ファンの記憶に残る選手だった。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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