家族を失った遺族の一人は、

「一日も元気な姿を忘れたことがない。帰ってきてほしい」

 と言葉少なに心境を語ってくれた。

 谷本容疑者のことを話してくれたAさんは、今は体調を崩して病床にいる。

 改めて話を聞くと、「思い出したことがある」と話し始めた。

「谷本容疑者と知り合って1年ほどしたころ、場外馬券売り場からの帰りに、自転車を止めて公園のベンチでその日、馬券を外したレースについて缶ビールを手に『反省会』をしていた時だった」

 この日の谷本容疑者は、1着は予想通りだが2着、3着を外すという惜しいレースがいくつかあった。

「ライター貸してよ」

 とAさんに言った後、谷本容疑者は、急にティッシュペーパーと外れ馬券を取り出して、

「なんでや、外ればかりや」

 と怒鳴りながら、馬券を燃やし始めた。

 公園で火の気はご法度だ。驚いたAさんが消すように言うが、谷本容疑者は馬券を手にしたまま。火は指先に迫っている。Aさんはヤバいと思い、手にしていたビールを振りかけて、火を消した。そして、公園の水道で水をくみ、谷本容疑者の手に何度もかけて冷やしてやった。まわりには、半分焼けた外れ馬券が散乱していた。

「腹が立ったら、熱さは感じなくなる。ガーっとくるものがある」

「昔から工場(板金工)やってたから火は怖くない」

 そう谷本容疑者がつぶやいていたことを、事件後、Aさんは思い出したという。

 谷本容疑者には火傷などはなく、冷静になった後、

「ごめん、こんなことして」

 と頭を下げ、外れ馬券を拾ってゴミ箱に捨てながら、

「なんで、人生うまくいかないのかね。普通の人生でええのに……」

 とつぶやいて、公園から帰っていったという。Aさんは、

「今思うと、谷本には火への恐怖心のなさ、火を見るとなにか沸き上がるものがあるのかもしれない。それが放火というとんでもない手段を選んだのでしょうか」

 と声を絞り出した。

「人生がうまくいかない」とつぶやいた男の犯行は、あまりに多くの犠牲者を出した。改めてご冥福を祈るばかりだ。

(AERA dot.編集部 今西憲之)

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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