日本球界に復帰した秋山翔吾
日本球界に復帰した秋山翔吾

 秋山翔吾は日本球界への復帰交渉において「2000安打を打ってほしい」という言葉で広島に口説かれたことを明かした。過去の日本人メジャーリーガーでは、イチロー、松井秀喜、松井稼頭央、青木宣親が日米通算2000安打をメジャー時代に達成している。一方、日本へ「出戻り」後に通算2000安打を達成した選手は、わずか3人しかいない。かくも難しい「日米日2000安打」の過去の例を振り返ってみよう。

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■中村紀洋/2106 (NPBで2101、 MLBで5)
■福留孝介/2449 (NPBで1951、 MLBで498) ※21年終了時点
■井口資仁/2254 (NPBで1760、 MLBで494)

 中村紀洋はポスティング制度を利用し、2005年にドジャースで5安打。06年、球界再編騒動により近鉄が吸収合併されたオリックスに入団したが、契約交渉が折り合わず、07年に育成選手として中日に入団。その後、支配下選手登録され、日本シリーズMVPに輝く。09年、楽天FA移籍するが、成績が振るわず翌年自由契約になった。11年に横浜(現DeNA)に途中入団し、39歳となった13年に日米日2000安打を達成した。その後、日本での2000安打も記録。5球団目での達成は加藤英司以来2人目だった。

 福留孝介はメジャー5年間、3球団で計498安打を放ち、日本人メジャーリーガーとしてそれなりに活躍した選手である。日米日2000安打を達成した16年には阪神で39歳ながら141安打、打率.311をマークしている。その後、中日に移籍し、今年史上最年長開幕スタメンを果たした。現在45歳で現役である。

 井口資仁はメジャー4年間で計494安打。ホワイトソックスとフィリーズでワールドシリーズのチャンピオンリングを手にしている。日本に復帰後、ロッテ5年目の38歳のときに、その年24連勝した楽天の田中将大から日米日2000安打を本塁打で達成している。その後、17年まで現役を続けた。

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