2017年の発売以来、重版を続け5万部に迫った帚木蓬生さんの著書『ネガティブ・ケイパビリティ』(朝日選書)。本書が説く、「生きやすくなる」考え方とは
2017年の発売以来、重版を続け5万部に迫った帚木蓬生さんの著書『ネガティブ・ケイパビリティ』(朝日選書)。本書が説く、「生きやすくなる」考え方とは

――ネガティブ・ケイパビリティは「不思議さや疑いのなかに、居続けられる力」。この言葉を最初に書いた詩人キーツは、ネガティブ・ケイパビリティについて書いたとき、まだ22歳だったのですね。

 しかも一回だけなのです、キーツがネガティブ・ケイパビリティという言葉を使ったのは。弟たちへの手紙に書いたのですけれど。

 あの人は長編詩ですし、ギリシャ神話などを題材にしていましたから。詩人になる道を選んだものの、悩んだのでしょうね。

 シェイクスピアを読みふけって、手本にしようとしていました。それで何か感じ取ったのでしょう。キーツが最初に言ったのは、「詩人はアイデンティティーを持ってはいけない」ということでした。自分を消して、あいまいさのなかに居続ける力があれば、対象のなかに入っていって、見えないものを感じとることができる。こういう想像力にシェイクスピアは優れていると気がついたのです。
 そう言われてみると、シェイクスピアの偉大さがよくわかります。

――人の心は、白か黒かじゃなくて、いろんなグレーがあるわけで、ネガティブ・ケイパビリティがあったから、それがちゃんと感じられたのでしょうね。

 絶対にそうだと思います。最初から構造を決めて書いてないですよ、シェイクスピアは。書きながら探っていって、一片の真実に至る、という書き方だと思います。それこそ、宙ぶらりんでありつつも進めていく力です。

――ネガティブ・ケイパビリティという言葉に出会ってから、ご自身のなかにも、ずっとこの言葉があったのでしょうか。

 もうずーっとありました。難しい患者さんが来るたびに。投げ出したいと思うけれど、いやいやいやと、こらえていると……。

 これは、逃げるのがよくないんですよ。嫌な患者さんを「もう手に負えないので、どこかの先生に紹介したい」と後輩から相談されることがありますが、「ダメですよ。もう患者さんは先生のところに来ているんですから、最後まで診るつもりで。これこそが、ネガティブ・ケイパビリティですよ」と言うと、「そんな能力あるんですか」と驚かれますけれど。患者さんが来たということは、頼ってきているわけですから。

 目薬、日薬、口薬もあります。患者さんを見守る目があればいいし、日がたてばなんとかなることもある。「めげずにいきましょう」と言うのは口薬です。それも頭の隅に置きながら診察しています。

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