──そのお茶の水女子大では、近年、トランスジェンダーの学生の受け入れを開始しました。LGBTや性自認を巡る対応について、大学に求めたいことはありますか。

 コロナ禍では、大変残念なことに女性の自殺、子どもの自殺が増えてしまいました。子どもの自殺のなかには「いじめ」を理由としたケースがあり、その背景として、性自認の戸惑いがかかわっていることがあるとも聞きます。大学においても、LGBTQは「当然あるもの」として、経営を考えていただきたいです。

■偏差値は「自分はこの程度」と可能性を切ってしまうもの

──ご自身の学生時代も振り返って、日本の大学制度について思うことはありますか。

 日本社会にはややもすると、「学歴が高い人ほど立派な人だ」という見方があります。出身大学の偏差値で卒業後の上下関係が決まったりすることもある。18歳のときの偏差値が、その後の50年、60年の人生に影響していくというのは、異様な光景です。

 私自身はアメリカの高校を出て、帰国子女枠で上智大に入学しました。実質、受験勉強を経験しておらず、その代わり卒業が非常に厳しく、単位を一つでも落としたらアウト。なので、大学に入ってから必死に勉強しました。

 そのため、上智大の偏差値がいくつかも知らないし、自分のなかに基準となる偏差値がありません。だからコンプレックスもないし、学歴で人を判断するということがない。

 私が好きなことばに、ジャーナリストの千葉敦子さんが残された「可能性は無限大」というものがあります。偏差値は、「自分はこの程度だ」と可能性を切ってしまうもの。わたしはそれがないから自分の可能性を無限大だと思っていますし、自己否定感がありません。客観的な基準を持ってしまうと、自分を固定化して「この程度の仕事」「この程度の人生」と考えてしまうのではないでしょうか。

──現役の女子学生に伝えたいことはありますか。

 いま、私たちが若いときにはまったくなかったような環境が生まれつつあります。政治の世界でも「政治家は男になれ」といわれていたのが、いまは「女性の政治家がほしい」といわれる。女性候補者5割を目指す政党まで出てきました。様変わりだと思います。「女性じゃなきゃだめ」ってすごいこと。だから「チャンス到来」だと、背中を押してあげたい。

 日本は人口減少という国難のなかにあり、斜陽が始まっています。さらにコロナ禍にも見舞われています。一方、「マイナス」の時代は、いままで浮かび上がらなかったポテンシャルが開花するときでもあります。ポジティブに考えて、前に進んでいってほしいと思います。

野田聖子(のだ・せいこ)
1960年生まれ。83年、上智大学外国語学部卒。岐阜県県議会議員を経て、93年、13年ぶりの自民党女性衆院議員として当選。37歳で郵政相として初入閣。現在、男女共同参画、女性活躍のほか、孤独・孤立対策、こども政策などの担当大臣を務める。

(構成/編集部・鈴木顕)

※『大学ランキング2023』から抜粋