――ウクライナからの避難民が世界で大勢に生まれているなかで、日本の難民政策はどうあるべきだと考えますか。

 わたしは難民問題に詳しいわけではないので、お答えするのは難しいのですが、個人的には、ウクライナの「避難民」報道には、複雑な思いを持ちます。まず「避難民」とは何か、ということです。日本では、「難民」の定義を非常に狭く解釈することで、「日本では難民とみなさない」という態度を取り続けてきました。それが難民認定率の低さとも関係しています。今回、わざわざ「避難民」という言葉を使っているところに、すでに「日本は難民を受け入れるつもりはない」という姿勢が表れているような気がします。それでもとにかく、ウクライナから逃げて来る人たちを保護しよう、仕事もできる在留資格を付与しようという方向で動いていることじたいは、よいことではあると思います。

 ただ、ここに「ウクライナ限定」のようなダブルスタンダードが存在していて、もう十年、二十年、保護を待ち望んでいる難民申請者が大勢いて、就労機会も健康保険に入る権利も県境を移動する権利も得られず、ひたすら入管に「帰れ」と言われ続けていることを考えると、とても胸が痛みます。その場しのぎやパフォーマンスではなく、真剣に難民保護と向き合うときが来ていると思います。

――『やさしい』でも触れられていたように、日本社会には、在留資格が切れた外国人に対して「日本人じゃないんだから、国外退去は当然じゃない?」という感覚もあると思います。

「在留資格が切れる」というのがどういうことなのか、よくわからないからではないでしょうか。なにも知らない、わからない立場から見ると、「在留資格がない」というのはつまり、「ここにいちゃいけない」ということだろうと、文字通りの感覚を抱くのではないでしょうか。しかし、たとえば、日本人と結婚していて、「日本人の配偶者等」という在留資格を持っていたけれども、その配偶者が不慮の事故で亡くなってしまった場合、婚姻の事実がなくなるのでその「在留資格が切れる」形になりますよね。何年も結婚していて日本での生活が根づいている場合、あるいは二人の間に子供がある場合などにも、「在留資格が切れた以上、日本人じゃないんだから国外退去は当然だ」と、誰もが思うでしょうか? 

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『やさしい猫』執筆で意識したこと