安徳天皇を祀る下関の赤間神宮
安徳天皇を祀る下関の赤間神宮

 歴代天皇の中で最も若くして亡くなったのは安徳天皇で、唯一戦乱により命を失った天皇でもある。11月12日(旧暦)はそんな安徳天皇の誕生日であったが、この天皇は現在、新生児の守り神ともなっている。安産祈願へ出向く「水天宮」の祭神が安徳天皇なのであるから。 

●あまりに悲しい平家の最期

 安徳天皇は満1歳の時に即位し、6歳で没した。平清盛の孫であり、清盛の正室・時子に抱かれたまま、壇ノ浦の海に入水したと平家物語は語る。安徳天皇の母・徳子(のちの建礼門院)に仕えた女官が、安徳天皇、徳子、時子を祀った庵が水天宮の始まりである。この女官のように平家にとても近い人物がしっかりと歴史に名を残していることはかなり貴重である。というのも、源平合戦とも呼ばれる6年にも及んだ「治承・寿永の乱」の戦後は、源氏側による平家追討が厳しく、後の世に言う「平家の落人(おちうど)」を大量に生んでいるからだ。

●正式には赤間神宮が安堵の地

 平家追討とは、平家一門だけでなく、縁者、協力者などにも及んだことから、東北から沖縄にいたるまで「平家の隠れ里」伝説が残っている。安徳天皇が生き延びたという伝説は多く、各地にお墓が存在している。壇ノ浦が近いためか、四国・九州には特に多く、対馬に逃れた説では宗氏の祖であるという話もあるくらいだ。公式に宮内庁が治定している安徳天皇陵は、下関の赤間神宮の隣にある。源頼朝が建立した阿弥陀寺御影堂が現在の赤間神宮の社殿となり、境内には平家一門のお墓も並んでいる。

●落人として人気の平維盛

 中でも光源氏の再来とまで言われた美貌の持ち主・平維盛の落人伝説は数多く、富山、福井、長野、静岡、三重、奈良、岡山、沖縄にまでその名は広がっている。最も、彼の死は和歌山の那智の海で入水したという謎めいたもので、その後の生存説もあながち伝説とは言い切れない部分もある。

 同様に、四国には平家の軍旗などが残る徳島、安徳天皇陵との言い伝えも残す高知のほか、平家とのつながりが創建の歴史と語られる下谷八幡宮や平家神社なども散見できる。

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鈴子

鈴子

昭和生まれのライター&編集者。神社仏閣とパワースポットに関するブログ「東京のパワースポットを歩く」(https://tokyopowerspot.com/blog/)が好評。著書に「怨霊退散! TOKYO最強パワースポットを歩く!東東京編/西東京編」(ファミマ・ドット・コム)、「開運ご利益東京・下町散歩 」(Gakken Mook)、「山手線と総武線で「金運」さんぽ!! 」「大江戸線で『縁結び』さんぽ!!」(いずれも新翠舎電子書籍)など。得意ジャンルはほかに欧米を中心とした海外テレビドラマ。ハワイ好き

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