おおた でもその痛みをロゴス的に解釈できるようになったのはたぶんずっと経ってからですよね。
福岡 そうです。あのときは言語化できないピュシスとしての痛みだけが残って、大人になってからそれに意味づけをしています。でも多くの場合、大人になる過程で、あの感覚を忘れてしまいます。それをもう一度、思い出してほしい。
おおた そうですね。
■自分自身の身体性に耳を澄ませる
福岡 「ピュシスの歌を聴け」っていうのは、自分自身の身体性に耳を澄ませということでもあります。外のピュシスに注意を向けていると、自ずと自分の内部のピュシスにも気がつけるようになります。
おおた 私の本の中で、教育学の大家である汐見稔幸さんが私のインタビューに答えてくださっていて、「内なる自然と外なる自然を命の世界のレベルで出会わせる」という表現をしてくださっています。それと同じですかね?
福岡 まさに。あの汐見さんのお言葉は我が意を得たりという感じです。一度お話ししたことがありますが、非常に意気投合しました。自分の内部のピュシスに気づけるようになると、ロゴスが抑圧しているものにも気がつけるようになる。その感覚があると、子どもたちが思春期を迎えて大人になっていくときに、エロスのあり方にも肯定的なスタンスがもてるように思います。
おおた エロスとは、一糸まとわぬ自然のままの姿になって、もうひとつのその状態のピュシスをありのままに感じることです。だから自然のなかでロゴスから解放されてリラックスするのと同じように癒やされる。これはエロスの肯定的な捉え方になりますよね。
福岡 子どもたちはやっぱりそれをね、常に予感していると思うんですよね。
おおた そうだと思います。そうあってほしいと思います。