パ・リーグの“名物審判”としてファンからも愛された村田康一氏 (c)朝日新聞社
パ・リーグの“名物審判”としてファンからも愛された村田康一氏 (c)朝日新聞社

 プロ野球の珍プレーは、選手が主役になるパターンがほとんどだが、本来は脇役的立場の審判でありながら、「そこまでやる?」と思わず吹き出してしまうようなオーバーアクションと、「俺は村田だ!」(みのもんた氏の吹き替え)のセリフがピッタリのこわもての言動で、圧倒的な存在感を放った“伝説の男”が、パ・リーグの審判部長を務めた村田康一氏だ。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 出身は福岡県北九州市。1955年から近鉄の捕手として10年間プレーし、61年に正捕手になるなど、選手としても実績を残しているが、実は現役時代にも、57年9月11日の西鉄戦で、歴史的な珍プレーを演じている。

 0対0の4回1死、西鉄の先発・若生忠男に無安打に抑えられていた近鉄は、鈴木武が左前に初安打。次打者・伊香輝男も初球を左翼線に運ぶ。長打で1点入ってもおかしくないケースだ。

 ところが、左翼側ブルペンで投球を受けていた村田捕手が、目の前に転がってきた打球を、インプレーと知らずに「えい、邪魔だ!」と後方に放り投げてしまったから、さあ大変。

 故意妨害と見なした審判団はシングルヒットとして1死一、二塁で試合再開となったが、皮肉にも近鉄は0対1のサヨナラ負け。一方、西鉄は5回からリリーフした稲尾和久が勝ち投手となり、これがシーズン15連勝目。同年、プロ野球記録の20連勝を達成した稲尾はロッテ監督時代、審判になった村田氏と顔を合わせるたびに、「あの件があったからなあ」と感謝していたという。

 稲尾の連勝記録は、13年に田中将大楽天)に抜かれたが、村田氏は「正直言って、寂しかった」と回想している。

 現役引退後、近鉄の2軍マネージャーを経て、67年にパ・リーグの審判部に入局した村田氏は、80、81年と2年連続で優秀審判員賞を受賞するなど、輝かしい実績を積み上げていくが、翌82年の日本シリーズ、西武vs中日で、これまた球史に残る珍プレーの主役となる。

 2勝2敗で迎えた第5戦、中日は0対0の3回2死、田尾安志が内野安打と悪送球で二進。次打者・平野謙の当たりもファースト・田淵幸一の右を抜き、先制の長打と思われた。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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