平塚市の片倉章博市議(右)と河野氏(画像=片倉氏提供)
平塚市の片倉章博市議(右)と河野氏(画像=片倉氏提供)

 それから約2年後。2017年8月の第3次安倍第3次改造内閣で、河野氏は大きな飛躍を遂げることになる。外務大臣に抜擢されたのだ。


「ちょうどその日は地元であいさつ回りをしていて、大磯の鳥料理屋でランチを食べながら 『大臣を取りにいこう』という話をしていたとき、安倍さんから閣僚就任の電話があった。だから、私は『ほらみろ』って言ったんです」


 こうして、政治家として権力の中枢に入っていくことになった河野氏だったが、若手の頃には、後の政治信条である「突破力」を発揮した大きな経験をしている。


 Jリーグに所属する「湘南ベルマーレ」の経営再建である。1999年から同チームの代表取締役会長を務め、地元クラブの再建に尽力したのである。


 同チームの前身は、元日本代表の中田英寿氏ら名選手を輩出してきた「ベルマーレ平塚」だ。だが、99年にメインスポンサーだった大手ゼネコンのフジタが経営不振に陥り、クラブ運営から撤退することになる。大幅な予算縮小により、主力選手の放出を余儀なくされる中で戦った99年のシーズンは最下位に終わり、J2への降格が決定した。経営的にも戦力的にも、クラブは存続の危機に立たされていた。そんな中、白羽の矢が立ったのが、地元選出の衆院議員の河野太郎氏だったのだ。


 河野氏とともにクラブ再建を担い、湘南ベルマーレの代表取締役会長を務める眞壁潔氏は当時の状況をこう話す。


「当時、ベルマーレの資本金は2億4100万円でしたが、クラブ経営には毎年最低でも4~5億円かかる。当時のJリーグでは1年で億単位の赤字が見込まれ、このままでは、翌年にもクラブ解散かという危機的状況でした。それでも太郎は『1度つぶれたら、復活するのは難しい。地元のチームをつぶしたくない』と必死の思いで、ベルマーレを救うために駆けずり回ったんです」

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「よく大声で言い合いになっていた」