「一度、ホテルの外にいたときに呼び出されて。背後は街並み。やばいと思って応答しませんでした。あとでなにかいわれるかと思ったんですが、なにもなかった」

「ビデオはときどき人が呼びかけてくることがあるんです。あれには焦ります」

 それほど厳しいものではないことは薄々わかる。入国して1週間になるが、ビデオ撮影の待機場所登録の連絡は1日1回、それも昼前後だ。自主隔離を続けるホテルもKさんの行動を監視しているわけではない。夜は外出できるような気がする。

 Kさんは1年半ぶりの帰国だ。暮らしているのはホーチミンシティ。もちろん日本風の居酒屋はあるが、日本のそれとは素材が違う。いまなら秋ナスの煮物? キノコの天ぷら? Kさんは日本酒派。きりっと冷えた大吟醸……。一時帰国の楽しみのトップは居酒屋?

 2週間の自主隔離はそれを封印しなくてはならない。

 しかし、アプリからの問い合わせを無視すると、名前が公表される可能性がある。9月10日に厚生労働省のホームページをみると、3人の名前が載っていた。

「ベトナムは感染が広がると完全ロックダウン。警察も出るから厳しい。でも日本のほうが精神的にきついです。自分で管理しないといけないんです。ホテルの部屋から外が見えるんですよ。酒類を出してはいけないというのに、居酒屋が堂々と店を開いている。夜ならば連絡はないかもしれないっていう悪魔の囁きが耳元で聞こえ、心は乱れます。でも万が一、名前を公表されて、会社が知ったら……」

 Kさんは窓に映る居酒屋のネオンをにらみつけるような夜をすごすいている。

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)。

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)。
下川裕治(しもかわ・ゆうじ) 1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)。
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下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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