今年で第103回を迎える夏の甲子園大会。過去の大会には、後のプロ野球選手やメジャーリーガーも多く出場し、時には「あの人がまさか?」と驚くような珍プレーや珍場面も演じている。
レフトフェンス直撃の“長打”を放ったはずなのに、一塁ストップという珍場面を演じたのが、花巻東時代の大谷翔平(エンゼルス)だ。
2011年、2年生で甲子園初出場をはたした大谷だったが、岩手大会直前に左太ももの肉離れを起こし(その後、骨端線損傷と判明)、県大会でも1試合にリリーフして1回2/3を投げただけ。チームは5人の控え投手が力を合わせてエースの穴を埋め、2年ぶりの甲子園出場を決めたが、大谷は甲子園入り後も足の痛みが引かず、1回戦の帝京戦では、3番ライトで出場した。
だが、先発・小原大樹が帝京打線につかまり、4点を失うと、大谷は「投げられる状態ではなかったけど、チームのために勝ちたかった」と4回途中からマウンドへ。
そして、5対7で迎えた6回無死二、三塁、打者・大谷が本領を発揮する。カウント1-1から石倉嵩也の外角低め変化球を「ただただ無心で振った」と逆らわずに流し、あわやホームランというライナーの同点2点タイムリー。これが記念すべき甲子園初安打だった。
大谷の俊足をもってすれば、二塁に進んでもおかしくなかったが、足の状態を考慮して、無理せず一塁で自重。かくして、レフトフェンス直撃の2点タイムリーシングルヒットが記録された。
しかし、「痛くて下半身が使えなかった」投手・大谷は、7対7の7回2死から痛恨の振り逃げを許し、一、三塁となった直後、4番・松本剛(日本ハム)に右前決勝タイムリーを浴び、無念の初戦敗退。それでも、9回まで105球を投げ抜き、5回2/3を自責点1。釜田佳直(金沢)、北方悠誠(唐津商)のMAX152キロに次ぐ大会3位の150キロを計時している。
一打サヨナラのチャンスに敬遠された1年生の強打者は誰か?答えは東海大相模時代の巨人・原辰徳監督だ。